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自己紹介:僕は共感がうまくできない

僕は共感できることが少ない。

数ある映画や小説、漫画もそうだし、友達との何気ない会話でも共感があまりできない。

人間というのはどうやら共感することに喜びや安心や楽しさを感じるようなのだが、僕はそれが余りできないようだ。

僕が6歳ぐらいのころに父が起業した。それからというもの父は仕事に専念するようになり、あまり家に帰ってこなくなった。

もちろん父が起業するというのは家庭の経済的不安定にもつながり、母親も仕事に出かけるようになった。
また、しばらくして母はよく夜中まで家に帰ってこなくなった。

今ならわかるが、母は父が家庭をあまりかえりみなくなり、寂しかったのだろうし、家庭は自分がうまくいっていない現実と向き合うことを意味しただろうから、逃げ出したかったのだろう。
今なら彼女の気持ちが、すごいわかる。
だけど当時の自分はまだ子供だった。ただ毎日寂しかった。

父親は仕事に専念し、そして外で女も作っていた。
父と女が一緒にいる場面に出くわしたこともある。
自分や母親ではなく、知らない女性といるときの楽しそうな顔を10年も生きていない子供が見るのは、なかなか表現するのが難しいが、あれは辛いものだ。
無理やり乱暴な暴力で、ぐちゃぐちゃに心を殴られたり引っ張られたりするあの感じ。

それでも自分が10歳くらいまでは家に父も週1くらいで帰ってきていた気がする。帰ってきては仕事のことばかり話していた。
僕が10歳くらいに母と話がついたのか、父とは月1くらいでしか会わなくなったような気がする。

学校から家に帰れば
暗い部屋にカップ麺が机に置いてある。
それが僕にとっての家族。

だから、よくドラマなんかで見かける家族や他の人が話している家族や結婚観なんてものは知らない。わからない。
勘違いしてほしくないのは別にドラマで見かけるような家族を羨ましいと思ったことは一度もない。
本当にわからないだけであり、僕にとって共感できないだけだ。
わからないのだから羨ましいという感情も起きたことがなかった。

僕は僕なりの家庭で育ってきた。それだけ。

とはいえ、母も父もしっかりと自分の責任を果たそうとしていたと思う。
母は遅くなっても家に帰ってきてはいたし、朝ごはんも毎日作ってくれて、父は僕が塾に通う金をだし、私立中学に進学させてくれた。

あれだけ色々と行動していれば、子供なんて邪魔だろうからもっと無視することもできたろうに、親であろうとしてくれたことには感謝しかないし、凄いなぁと思う。

とにかく僕は中学から高校まで男子校に入った。

この男子校はまた特殊なところで、これが世に溢れる恋愛ドラマや青春ストーリとはかけ離れたところだった。

だから青春映画も小説も僕にとってはスターウォーズと同じSF映画のジャンルだった。

モテるという青春にとっての最大であろう目的がないため、皆自分の好きなことを自由に追及していた。
カッコつけても意味がないのだから、本当に好きなことだけをやっていたのだ。
だから周りは本当に変な人ばかりだった。

かくいう自分はロックミュージックとギターにはまった。
それも流行りのバンプとかラッドやらではなくて、もっと僕の気持ちを代弁してくれているようなもの。

それはブルーハーツから始まり、セックスピストルズやクラッシュ、尾崎豊にローリングストーンズ、エリッククラプトン等の本当のロックンロールで周りの友達からは古臭いと思われているものだった。

そして僕はそんな家庭環境や趣味だったし、この学校はとても自由な校風だったので、途中から学校に行かない日も増えた。

家を出ると河原でギターを弾いているか、友達の家でレコードを聞いたり、地元でヤンキーと呼ばれる連中と絡み酒やたばこをしていた。
警察のお世話になることもあった。

高3で受験勉強するまで勉強はしたことがなかったんじゃないかと思う。
高3の時マイナスの計算やBe動詞とはなにかから勉強をし始めことを覚えている。

自慢のようになってしまうが、大学受験の時は某関西の有名国立大学に行きたいなと思って、初めて勉強をして約半年で偏差値を40以上伸ばして合格した。

だから勉強を難しいとか辛いとか思ったこともないし、そもそも学校では勉強したこともない。
教師はそんな金髪メッシュで放課後ギターだけ弾きに登校するような自分を名前で呼んでくれなかった。
「お前」と呼ばれていた。

それが僕の青春だった。

だから世の中の青春ストーリーや他の人の青春時代の話を聞いて共感することはあまりできない。
ここでもドラマのような学生生活を送りたいと思ったことは一度もない。
ただ共感できないだけだ。

大学生になってからは、相変わらずギターを弾いてライブをしたり、ギター片手に世界中旅してみたり、ベトナムでバーを経営してみたり、色々と経験した。

社会人になって、外資系企業に入社し、初めての上司は中国人だったし、それからフィリピンオフィスのマネジメントをやったり、世界中のいろんな人と一緒に仕事をした。

これらの経験も一般的な日本人の20代の経験ではない気がする。
よく経済ニュースに出てくる日本企業の人間関係の問題点や愚痴みたいな話は共感したことがない。

世界中に友達や先輩、後輩ができて、自分が思っている以上に色んな人生や当たり前があることを勉強させてもらった。
そこに一貫した当たり前なんてなかった。

僕は共感できることが少ない。

それが僕だ。

それでいいんだと思う。たまに少し寂しいけれど。

この自分でこれからも生きていきたいと思う。

そんなだから変な奴だと思うかもしれないけど、よろしくお願いします。

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