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恐怖って感情めっちゃ邪魔やねんけど

最近、ふとそう思った

全く勝手のわからない仕事を振られた時、重要な会議でプレゼンしなくてはならない時、好きな人とデートにいく前、声を荒げる上司と話している時、飲み屋で喧嘩になった人に入れ墨が入っていた時 等々

全て自分の中に恐怖という感情が芽生え、理性的な自分はどこかに消えてしまう。

焦りや不安などの感情と共に全く効果的とは言えない言動をしてしまい、あとで反省を生んでしまうことがほとんどだ。

「恐怖って感情めっちゃ邪魔やねんけど!」

恐怖に私はどう対処すべきなのだろうか。そもそも恐怖ってなんなんだって思った。

おそらく人間にとって当たり前の感情すぎて、みんな真剣に考えたことがないんじゃないか。

なぜなら恐怖に支配されていることに対する巷に溢れる対処方法は「勇気をだせ」とか「思いっきりことにあたってみろ」とか全く役に立たないものばかりだからだ

勇気を出していれば、恐怖は感じない、思いっきりことに当たることができなくなったりするのが恐怖なのだから、勇気がないとか、思いっきりことに当れないというのは恐怖と同義であり、全く意味のないことを言っている。

お金がなくて困っている人に、お金を稼げばいいって言っているようなもん

お腹が空いて悩んでいる人に、ご飯を食べればいいって言っているようなもん

恐怖に悩んでいる人に「勇気をだせ!」とかそんな短絡的な根性論を、理性と論理を信じている私が受け入れることはできない。

なので、自分自身恐怖というものに困っているので、対処方法を考えてみた。

元々、私が持っていた対処方法というのは、慣れろ!ということだった。

この対処方法は今までの経験ベースで、なんとなくそう思っていた。

子供の頃、空手を習っていた。初めて2、3ヶ月間は殴り合いをしなくてはいけないとき(組み手)めちゃくちゃ怖かった

しかしながら、半年も殴り合いを繰り返しているうちに人を殴ることも、殴り返されることも怖くなくなっていく

そうやって、恐怖は克服できる

しかしながら、この対処方法ではうまくいかないことが多い

なぜならめちゃくちゃ初めてのことが人生というのは多すぎるからだ

経営コンサルタントという仕事をやっているので、仕事はルーチンワークなど一つもなく、毎回新たな仕事で誰も解決策を持っていないものに対して、重責の中こたえを見つけていかなければいけない

慣れるなんてことはない。

毎日、本当にこれでいいのか、俺は間違っていないのか・・・

恐怖から派生する不安や葛藤の連続だ

経営コンサルタントじゃなくても同じだろう

急にキレ出す上司だったり、ヤンキーに絡まれたり、彼女がいきなり感情的になって暴れ出したり、急にくる指令だったり、好きな子に告白する前とか

めっちゃ怖いことばかりであって全然慣れない

正直、かなりいろんな経験をしてきたので、恐怖を感じたり、不安になることは10代の頃や、社会人になりたての頃に比べたら減ったことは確かだ

しかし、まだまだ慣れないことはいっぱいあるし、これからもこんな変化の激しい世の中で次々と起き続けるだろう

そもそも恐怖ってなんやねん

そこで恐怖になったときの自分に起こる現象を観察するところから初めてみた

今まで観察された現象としては

1.理性の減少

2.消極的思考の増大

3.声が小さくなる

4.体が硬くなる

というものだった。

次にこういった現象が生じる場面というものの観察をしてみた

1.慣れない人(特に言動に予測がつかない・高圧的な人)といる時

2.慣れない仕事(特に責任の重い仕事)を振られた時

3.キレている人と対峙する時(特に目上、もしくは体格がこちらより上)

4.慣れない場所(特に治安が悪そう・予測がつかないところ)にいる時

といった具合だった。

そしてこれらの現象と場面の具体から、一貫した抽象原因と抽象現象を考えてみる

現象の一貫した抽象化できるものとしては

防御体勢に入る(動物的な無駄な思考力や言動を無くしている)

そして場面の一貫した抽象化原因としては

予想がつかない

ということになる

この辺のロジカルシンキングの詳しい方法は一旦ここでは触れないとして

人間は

予想がつかない場面 → 防御体勢に入る

この一連の流れを恐怖と呼んでいるようである

ではこの

予想がつかない場面 → 防御態勢に入る

という行動習性を人間は持っているのだろうか

プレゼンで防御体勢に入っても、頭が真っ白になってプレゼンが失敗する可能性が高まるしそれで自分の評価も上がらない

行動習性が役に立っていないのに、なんでこんな習性を人間は持ってしまったのだろう

そこで、思考の幅を時間軸で考えてみる

現在という視点で明らかにした恐怖という行動習性に対して、百年前、1万年前というような時間軸でどういう意味があるのか考えてみる

例えば1万年前であれば、人間はプレゼンもしないだろう

1万年前の我々の先祖たちにとっての、予想がつかない場面というのは、行ったことのない森だったり、知らない洞窟だったり、食べたことのないキノコだったりだろう

いったことのない森にはトラが潜んでいるかもしれない

知らない洞窟には吸血コウモリがいるかもしれない

そういう予想がつかない場面においては、理性や論理など出てきてはいけない

なぜなら、今自分がしているように論理的思考で恐怖に対峙していたら死ぬからだ

知らない森に行ってトラに出くわしても、「トラと会ったときの対処方法とはなんだろうか・・・?」みたいなこと考えているうちに食われているだろう

そんな論理的思考なんてしないようにして、筋肉に力を自然に入れて、一目散に逃げる準備に入るのが人間の生存本能として正しい現象だ

だから人間は

予想がつかない場面 → 防御体勢に入る

という習性は進化のうちに身につけた合理的な習性と言える

しかし、人間は進化のスピードを超えて自ら発展できる唯一の存在であり、現代においては予想がつかない場面で逃げ出すことが、合理的な習性ではなくなってしまった

重要な会議でいきなり走り出して会議室から逃げれば、それは社会的な死を意味するかもしれない

ここまでで恐怖というものが明らかになった

恐怖とは

進化の過程で身につけた生存本能の一つであり、現代社会に適合しなくなった

予想がつかない場面 → 防御体勢

という行動習性である

恐怖をどう対処すればええか

今までの考察の中で恐怖が発生する場面がわかったので、事前に対処することができる

重要なプレゼンや会議、面接、試験など

これらは事前にだいたいが恐怖を味わって理性がなくなってしまうことを想定して迎えるようにすればいい

恐怖をその場で感じることを予め予想して、防御態勢に入り理性が減少することを頭に入れておき、理性的な言葉や思考が使えるように予め、いつもより論理構造を紙に書いておくなどし頭の中を整理して、準備することが対策として考えられる

では、急に上司がキレ出したりして恐怖に陥った場合はどうすればいいのだろうか

このような場面では予め対策を講じることが難しい

こういったコミュニケーションの場面では強制的に自分の感情をコントロールする思考・行動ルールを作っておく必要がある

まるで、朝起きて歯を磨くように恐怖の場面では以下のことを行う

予想がつかない場面に今いて、防御態勢に入っているということをまず認識する

これはすでに恐怖がなんなのかをしっかりと認識していれば、容易に恐怖の状況にあることを知ることができるだろう(今、自分は先の予想がつかない場面にいて、体が硬くなっているなと認識できればいい)

その場合、まず行動をして、思考をすることができる準備に入る

具体的には深呼吸をする

深呼吸をすると脳内にセロトニンが発生し、落ち着きを取り戻し、緊張状態をほぐすことが実験から明らかになっている

次に今発生している状況を整理する

状況としては、

1.現在の自分の気持ち

2.なぜこういう状況になっているのかという事象・Fact

3.解決策・今後のとるべき行動

の3つがある

恐怖に陥っている場合、自分の思考がぐちゃぐちゃになってしまっていることが多いので(恐怖に陥っていなくてもぐちゃぐちゃ混沌になっていることもあるのでいつも分析思考は持ちたいもの)

この3種類のフレームワークに落とし込んでみる

例えば上司に自分の仕事のミスで怒られている場合などは、

1.現在の自分の気持ち
自分は反省している、ふがいなく思っている、今怒られていることが辛い、今後は無いようにしたいと思っている

2.なぜこういう状況になっているのかという事象・Fact
自分は失敗をした、会社に迷惑をかけた、以前から同様のミスを繰り返している

3.解決策・今後のとるべき行動
先輩に対策を相談しており、現在対策をレビューしてもらっており、そのレビュー結果を基に、毎日業務後に完全にできるようになるまで報告書を作成して提出することにしたいと思っている

というようなことがサラリーマンによくあるケースだと思う

これを順番に冷静に伝えていく

このフレームワークに落とし込むことで、突発的な恐怖事象に対しても一定の論理性を担保し、こちらの想いを伝えて、生産性のある今後のアクションまで落とし込むことができる

友達関係や恋人関係にも応用が聞くため、いろんな場合を考えて自分ごととして練習すると面白い

予想がつかない場面 → 防御体勢

という事象が発生しているなと思えば、とっさにこの対策をとりたいためEFSモデルという名前をつけた

E:Express feeling 自分の想いを表現する
F:Fact for reason 根拠となる事実
S:Suggestion for future 未来への提案

恐怖の場面においてEFSということを思い出し、フレームワークに自分の思考をパズルのように当てはめ込むだけで、恐怖に支配されずに論理的に未来志向のコミュニケーションをとることができる

よく、相手のミスを指摘したり、仕事内容の欠陥を指摘すると、

「すみません、すみません」

という人がいる

正直、そういった私が人に指摘をすることはクライアントに対してよりタメになりたいだけであり、指摘した人に謝られてもクライアントのためにならないので、なにも嬉しくない

指摘して、どういう風にその人が、その人の仕事が変わるのかということを聞きたい

そういう意味で、Eだけでは意味がない

逆にSだけでも、もし指摘する人が怒っていた場合、人は感情的な生き物なのでうまくいかないだろう

人間は相互関係を持っている生き物であり、例えば上司との関係性をよくすることと、クライアントへの価値増大の両方が大事であるからである

Fだけでは、ただ事実を述べているだけで全く意味ないことは明らかだ。EとSの相互理解のための補足的役割でしかないからだ

よってEFSモデルの全てが必要な情報である

E(Expression feeling)は相手の感情のために
F(Fact for reason)は誤解のないように
S(Suggestion for future)はお互いの共通目的のために

あるのである

最後に

ここまで恐怖というものに対して考えを述べてきた

勇気があるとか、勇気がないとかそんな曖昧な表現ではなくて、人間としての習性として持っていて当然なものであるし、むしろ古代であれば、恐怖を強く感じる人が生存能力が高く優秀な生き物であっただろう

それは我々が持っている常識とは相反するものかもしれない

しかし、論理を使って考えてみると新しい物事の側面が見えてくることがある

そして、そのような新しい物事の側面に着目すると、生き方が楽になったり全然ダメだった人が活躍したり、落ちぶれた商品が売れ出したり面白い現象が起きる

経営コンサルタントとして、特に人事系のコンサルタントとして、企業の経営層と話していて、社員の愚痴を聞くことが多い

「うちの社員はやる気がない・・・」

「もっと挑戦してほしいけど、うちの社員は保守的で・・・」

やる気がないというのは、どういうことだろうか

保守的になっているのはどういうボトルネックがあるのだろうか

それらを一つずつ分解して考えてみると(分析すると)

今まで見えてこなかった原因が見えて、今回のEFSモデルのようにたった一つのルールを付け加えるだけで驚くほど社員の働き方が変わり、それと同時に会社の活気や表情まで大きく変わってくることがある

みんなで思考することによって、少しでも良い人生を人間が送れるようになったらいいのになぁとそう思う

人間って唯一、今まで明らかになっていなかったものを自分で考えて明らかにして世界を変えられる主体的な生き物やから

まだまだ人間は幸せになれるとしか思えない

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