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か306.つで花見


札幌からバスで6時間、そこからさらに2時間半をかけてアイヌコタンがある阿寒湖温泉へ行ってきました。

ちなみに、羽田から釧路までの便もあります。
そのほうが圧倒的に楽ですが、今回は札幌行きが決まったこともあり、せっかくなので思い切って行ってみよう、ということで行ってきました憧れの地へ。

アイヌについて最初に触れたのは小学生の頃。シャーマンキングのホロホロこと碓氷ホロケウというキャラクターでした。

それから十数年が経ち。
自分はビート・ジェネレーションという世代に出会い、夢中になります。1950年代、アメリカで生まれた、ヒッピーの元になったムーブメントです。

彼らの本を漁っていく中で、ある時、日本で改めて展示会があることを知りました。そこで初めて、「部族」という存在に出会いました。

日本のビートニク(ビート・ジェネレーションの人たちの呼称)のような彼らが気になり、その中心人物たちの本を読み始めます。

誰も彼も、焚き火をして対話をして、いわゆる自然派的な考え方。
そのうちの一人には一度、会うことができました。

ここで話が急に飛びます。
小学生の低学年の頃、庭のトンボや、田んぼにいた蛙を殺しまくっていた時期がありました。
しかしある日突然、急に恐ろしくなりました。とてつもないショックが襲ってきて、自分がしたことに後悔しました。
魂みたいなものを実感した瞬間かもしれません。

さらに話が飛びます。
小学生高学年になり、文集に載せる詩を書いた時、いわゆる処女作ですが、「へい、ぼくつらら」という、つららが突然喋り出して自分と話す、という内容のものでした。

この頃から、なんだかあらゆるものに魂みたいなものが宿っている意識があって、よく木に話したりしていました。

2020年にリリースした「素粒子たち」の中に「窓」という歌があります。
これは自分の実家を歌った歌で、同じ窓を何世代に渡って見てきた、というものですが、その中にこんな歌詞があります。

「見覚えなどないのに 懐かしむことがある
長い時をかけて 息継ぎを身につけた
小さなもののまじわり」

いろんなものに魂が宿っていることを「アニミズム」と呼ぶことを知りました。
アニマとイズム、ですね。
シャーマンなどとも近い思想ですが、自分が持っている感覚が、このアニミズムに近いものだとわかり、この3ヶ月ほどいろいろ勉強していました。

そこで、アイヌがアニミズム信仰だと言うことも知りました。
ちょうど昨年末に阿寒湖に住む友達ができたこともあり、では早速行ってみよう!ということになった次第です。

アイヌコタン。

アイヌコタンとは、「アイヌの集落」を意味します。
入り口に大きなふくろう。ふくろうはアイヌにとってコタン・コロ・カムイ(村を守る神)といいます。

勉強していくなかで、友達の名前がアイヌ言葉に由来していることを知ってなんかちょっと嬉しい。

アイヌの最南端はどこだ?という内容では、埼玉県の所沢を(ト・コロ)がアイヌ語に由来するという説もあったようですが、出鱈目とのこと。なんでも言えそうだ笑

ちなみに地元新潟県にも沼垂(ぬったり)という地域がありますが、これにも触れて、「特に関係ない」とのこと。ただ、蝦夷が新潟まで降ってきていた可能性は史跡としても残っていることから可能性が高いとのこと。

さて、そんなこんなで、友達に会いに行きつつ、阿寒湖温泉に2泊の旅。
アイヌコタンでお土産みたり、湖畔でのんびりしたり、ご飯いろいろ食べたり、資料館を観たり。

着物を着させてもらいました!

そして夜はイコロ・シアターへ。
イコロとは「宝」を意味すると教えてもらいました。
ここではアイヌ古式舞踊や、いまは「ロストカムイ」というデジタルアートを駆使した演目を観ることができます。

毎年ここで開催されるウタサ祭というフェスも、その話を聞くことも今回の目当てのひとつ。町のひとたちの愛でできてるこのイベントは、自分が描く理想的な形のひとつ。

2日間、幸運なことに、町の人たちの飲み会に参加させてもらいました。
倉庫でジンギスカン、ビール飲んだり、いろんな話を聞けました。

ウタサ祭の思いや、アイヌの考え方など。
それぞれの持論で今後の話をするみなさんがとてもかっこよかった。

「アニミズムとか、学問分類上そういうけど、本来はみんなの心にあるもの」
この一言が現地で聞けただけで、個人的には行った意味があった、と思う。

ウポポも、次第に「あ!この歌聞いたことある」とかで楽しかったし、今度は倒れるまで踊ってみたい。
好きなアーティストの曲が実はウポポを取り入れていたことに気づいたり、学びの多い旅でした。

また行きたいな。

かつて先輩たちが紙おむつで花見をしたそうです。理由は「こんなに楽しい時間を過ごしているのにトイレに行くのがもったいないから」だそうですが、大人の排尿量に紙おむつが耐えきれず、結局びしょびしょになったとか。と凄惨な結果を聞いていても、いつかやりたいと思ってしまうのは、人間の欲深さや自分勝手さを感じてしまいます。ホロケウ・カムイとしてアイヌから崇拝されたエゾオオカミは、開拓者のハンターたちにより絶滅したとか。歴史の失敗から学ぶことは未来を考えること。みんなが少しずつ、未来のために動けたらきっと少しはましな未来が待っているはず。

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小野雄大
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