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好きなように咲けばいいし咲かなくてもいい



人はみんな花だ


とした場合。


いろんな種類があるし、それぞれの咲くタイミングがある。


同じように各々に合う肥料がある。


なのに綺麗に咲く花を見ては嫉妬し、自分には合わないことに気付かずに誰かの肥料を真似して、同じように咲けないと嘆く。


趣味が肥料の人もいれば、仕事が肥料の人もいるし、恋愛が肥料の人もいれば、一人が肥料の人もいる。


自分に合う肥料を見つけることが難しい。


でも肥料の前にまずは水が必要だ。


じゃあ水はなんなのか。


今のありのままの自分を自分が認めること。


これでいいと言ってあげること。


そこに行き着いた。


そんな話をしていたら「じゃあ太陽はなんなのか」と聞かれた。


水が自分なのだとしたら、太陽、雨雲、そういったものは自分以外の誰かなのかなと。


もちろん一人で生きてる人、生きたい人もいるし、必ずしもそうではないと思うけれど。


もし水が自分だとするならば。


水をあげすぎちゃう人は太陽みたいな人が合うかもしれないし、なかなか水をあげられない人は雨雲みたいな人と出会うと満たされるかもしれない。


そんなことを思った。


僕は、人は信じられないし、一人で生きていく方がずっと楽だと思ってるタイプではあるけれど、たぶんそう自分に言い聞かせるくらいに、本当は一人で生きてなどいけないことを知ってしまっている。


幼い頃は黙っていても親が水をくれた。


でも大人になって社会に飛び出せば、水をあげてくれる人を探すのは大変だ。


だからますは自分で、自分に、水をあげたい。


そうして過ごしていく中で太陽とか、雨雲みたいな人たちに出会ったら感謝して受け入れたいし、僕も誰かにとってそうでありたい。


そして綺麗な花を咲かせたい。


と、ここまで書いたところで本末転倒なことに気付いた。


綺麗な花、つまりこの場合で言う素敵な人生だとか、そんな言葉はそもそも自分目線の言葉ではない。


周りから見た他人の感想だ。


ありのままの自分を認めると言ったのに、結局最後には人の目を気にしていた。


じゃあどうしたらいいか。


簡単なことだ。


自分なりの花を咲かせよう、咲きたい時に。


今日の答えとしてはこれだ。


『Answerは "答え" であって "正解" ではない』


最近応援しているグループのリーダーが言っていた言葉。


現時点の僕の答え、これが正解だなんて思ってない。


だから、いつか変わっても全然いいんだ。



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