イメージを剥がしていく
褒め言葉をもらった時に、
素直に喜べなくなったのはいつからだっけ。
子供?学生?の頃は褒められるのが好きだったはず。
親や親戚に「心優しい子ね」と言われたら嬉しかったし、
先生に「クラスをまとめてくれる」と言われたら誇らしかったし、
友達に「君がいると盛り上がる」と言われれば自慢げだった。
どの言葉も前向きに受け取っていた。
いつからだろう。
人の言葉に縛られるようになったのは。
仕事ができる
責任感がある
完璧主義者
気遣いができる
歳を重ねるごとに褒め言葉の受け取り方が変わってきた。
仕事ができる自分でいなければいけない
キャパの限界が近づいても逃げ出してはいけない
少しのミスも許されない
自分のことだけを考えてはいけない
相手の口から発せられた瞬間は褒め言葉だったそれが、
自分の心に到達する頃にはなぜか全て否定的なものに変わる。
そうしてまた、
”人から見えている自分”でいるための努力が始まる。
その努力の道でたまに、
すごーく大きな声で、すごーく反響する場所で
自分はそんな人間じゃない!
と叫びたくなる時がある。
自分がなりたい自分でいればいいはずなのに
他者の言葉で作られた自分でいることに必死になってしまう。
今まで言語化できなかったものを星野源さんが言葉にしてくれて
とても腑に落ちた。
イメージは人が作るものだけどそれに囚われるかどうか、
その選択は自分がしていいもの
という当たり前なことにやっと気づいた。
一方で、
自分が発した言葉が誰かを縛ってしまう可能性があることも
忘れてはいけない。
言葉って難しい。伝えるって難しい。
他者が思う自分のイメージを剥がしていく。
そこから見えてくるありのままのなりたい自分でいられるように。
さあ、やってみよう。
まずは、
ここまでつらつら書いてきたけどやっぱり優しいとか思われたい欲求もある
優柔不断なところから出していく。