
僕が一瞬だけ何者かになれた話
大学時代に長期の留学をしていた。
初めて自ら動いて決めたことだった。
留学で経験したことは沢山ありすぎるので、いつか機会があれば書きたいな。
今回は、何者かになりたかった僕が、留学で一瞬だけ何者かになれた話。
留学生はホームシックになる人も多い。
だから先生たちは毎週金曜日に、生徒と2人でちょっとした話をする時間を作っていた。
ホームステイをしている子には、ご飯や会話など問題ないか。
寮で生活している子には、ルームメイトでやばいやつはいないか。
などなど。
そして先生が毎回する質問がある。
「How's it going?(調子どう?)」
”大丈夫シンドローム”の僕は、その質問に対して、こう答えていた。
「I'm okay.(僕は大丈夫だよ)」
海外ではただの挨拶の一環だけど、僕にとってはこの質問が難しかった。
本来であれば、大丈夫なはずがない。
だって、初めての国、友達もいない、言葉も文化も分からないことが多いんだから。
でも、そんな繊細な心の内を話す単語力も、気持ちも僕は持っていなかった。
とはいえ、毎日ネガティブな思いばかりだったわけではない。
Okay以外に最適な言葉を知らなかっただけだ。
いわゆる安牌ってやつだと思っていた。
ある金曜日、またいつものように先生が訪ねてきた。
「How's it going?(調子どう?)」
「I'm okay.(僕は大丈夫だよ)」
テンプレートで答えると先生が続けてこう訪ねた。
「Happy? Are you happy?(ハッピー?あなたは幸せ?)」
困った。ハッピーってなんだ。
友達もできたし、言葉も分かるようになってきた、そういえば今度の週末に旅行に行こうとみんなに声をかけたんだっけ。
−あ、今僕はハッピーなのかもしれない−
「Yeah, I'm happy.」
そう答えると先生は満足そうに頷いた。
「留学は大変なこと → それを愚痴るのは良くない → Okayと答えよう」
そんな思考回路だったけど、そもそもの ”留学は大変なこと” が変化したなら、結末の ”Okayと答えよう” も変わる。
「留学が楽しい → それを伝えると喜ぶ → Happyと答えよう」
次の週から僕はいつもの質問に、「I'm happy!」と答えるようになった。
うまくいかないことがあっても、「I'm happy!」と言い続けた。
すると、ある日の授業で先生が僕のことを ”Happy person(幸せ者)” と呼んだ。
いつからか、友達も僕を「Hey, happy person!」と呼ぶようになった。
不思議だ。
そう呼ばれているとちょっとやそっとのことじゃunhappyなんて思わない。
昨日の記事を読んだ方は分かる通り、ハッピーパーソンでいることを求められているからハッピーパーソンでいなきゃと思っていた節は少しあるが...
それでも初めて僕が、僕として何者かになれた瞬間だった。
これは留学していた時の話。
帰国すると僕はまた、”何者でもない僕” に戻った。
いいなと思ったら応援しよう!
