頼りないはずの背中は誰よりも大きかった
入社してすぐについた先輩は、会社中からいじられるような愛されるキャラクターだった。
お世辞にもバリバリ仕事ができるようなタイプではなくて、同年代が数々の仕事を取ってくる中、上司が持ってきた仕事をこなすイメージ。それすらも飲み会でのいじりの材料だった。
初めて先輩と飲みに行った夜、2年目の先輩に教えてもらった先輩の特性。
ウーロンハイが好きで一杯目からウーロンハイ。三杯目くらいから濃いめ。残りが1/4くらいになったら次を頼んでおく。
社会人として初めて覚えた飲み会のお作法だった。
日常はと言うと、仕事を丸ふりされる日々。
お酒が入ると饒舌になる先輩は、普段は無口で「これやってみて」と「えぇんやない」しか言わない。
自分はネットサーフィンして後輩に任せて、やったものを見せても反応は薄い。正直あまり好きじゃなかったし、よく同期に愚痴っていた。
それだけが原因じゃないけど、段々と先輩とも飲みに行かなくなった。(大人数の飲み会は行ってた)
そしていつからか僕は ”仕事はできるけど飲み会にあまり参加しない新人” といじられるようになった。
1年目が終わり2年目になった。新人はチーム編成が当たり前の中、僕は変わらず先輩と同じチームだった。
同期が新しい先輩との付き合いを模索する中、自分だけが成長できない気がして怖かった。
実際周りからは「いろんな先輩のやり方を見たほうがいい」という声が聞こえていた。
それでも決まったこと。目の前の仕事を全力でやるしかない。
先輩の下について2年目ともなると、次に何をしておいてほしいかの予測がつきやすくなる。阿吽の呼吸、バッテリー、とでも言うだろうか。
先輩からの少しの信頼にも気付けるようになった。
ただ、他の同期が後輩とも仕事をするようになる中、僕のチームには後輩が配属されなかった。
後輩の仕事と2年目としての新しい仕事の全部をやるには、時間も体力もかなり使わなければいけなかった。
僕の疲れによる怒りの矛先は、また先輩に向いていた。
でも慣れからくる仕事のやりやすさに居心地の良さを感じていたのは間違いないし、飲み会で先輩をネタにするのが周りから大好評で僕の鉄板だった。
そして3年目。予想はしていたけど、僕は先輩と同じチームだった。流石に周りも驚かない。そこはセットだよな、という雰囲気になる。
僕もそのいじりをなんとなく楽しんでいた。
そして僕の下に初めて後輩がついた。今までやっていた仕事を分担できる、と思うとそれだけで心も体も軽くなった。
でも軽かったのはその一瞬だけで、いざ実作業が始まると毎日気が重かった。自分でやればすぐに終わる作業を、教えながらやると倍かかる。試しに1人でやらせてみるとその倍かかる。
「子供が生まれないと親の気持ちは分からない」とよく言うが、あれは本当だ。
後輩ができないと先輩の気持ちは分からない。
この1年後輩のことを考えて終わるんじゃないかと思うくらい、どうしたらいいかと考えていた。
ある日の仕事終わり先輩が、飲みに行きますかと声をかけてくれた。先輩は断られそうな時、決まって敬語で話しかけてくる。
その予想を裏切って僕は、行きますかと返事をした。あの時の先輩の驚いた顔は今でも思い出すと笑える。
久しぶりに2人でお酒を飲む。いつものウーロンハイを頼む。気付くと後輩教育の悩みを相談していた。
先輩は笑いながら、そんなもんだよと言った。任せて間違ってたら指摘してあげればいいと。新人なんだから間違えて当たり前、とも。
「スロースターターもおんねん」
先輩はタバコを吹かしながら、そう言った。その発言はまるで自分自身とも重ね合わせてるようで、哀愁が漂っていた。
先輩との飲み会を経て、僕は意識を改め直した。
そもそも先輩は僕に仕事を丸ふりしていたのではなく、試しにやらせてくれたんだ。先輩はとんでもないチャレンジャーだ。
まずは僕も新人だった自分を棚に上げるのではなく、まっすぐ後輩と向き合う。後輩にできそうなことはどんどんトライさせる。(先輩ほどチャレンジャーにはなれず何度も保険をかけたけど)
すると後輩はメキメキ力を発揮し、他のチームにお手伝いに行った後に僕にお褒めの言葉が届くくらいになった。
そして知った。後輩を褒められることが自分を褒められることよりも、もっと嬉しいことを。先輩もこんな気持だったのかな。
僕が後輩との仕事に夢中になっている時、先輩からご飯のお誘いを受けた。僕は後輩のことも話したかったし、その後輩も誘ってご飯に行った。
後輩を誘った時に、一瞬困った顔をした先輩の顔に気付いたけど知らないふりをした。
いつも通り軽く先輩をいじりながらも、チームとして熱く仕事の話をして盛り上がった。
終電の時間が近付き、じゃあそろそろと会を締める言葉を発し3人で店を出た。
「ごちそうさまでした!」先輩に言うと先輩はまたあの困った顔をしていた。
僕は後輩に「先輩飲み足りないみたいだから今夜は付き合うことにするよ。こっちは任せて。明日もあるし帰りな。」と言った。
後輩を見送り、先輩の顔を見た。僕はもう2軒目で言われることが分かっていた。
2軒目は僕達がよく行く馴染みの店で、お通しに好きなものを選ばせてくれる。僕はいつもここでこんにゃくの甘辛煮を選ぶ。先輩は毎回違う。
僕がいつも通り、ウーロンハイ濃いめを頼もうとすると先輩は制止して普通のウーロンハイを頼んだ。俺ももう若くないねん、と。
出会って3年。年の差は10歳くらい。まだまだ若いじゃん。
会話の中身は1軒目と大差ない。最近の案件の話、会社の面白い話。僕はいつあの話が来るのか、ドキドキしていた。
3杯目か、4杯目のウーロンハイを頼んだところで、先輩が少し深めに息を吸った。来る。
「俺、会社辞めんねん」
分かっていた。今日のご飯に後輩を誘った時の顔、1軒目を出た時の顔を見れば。いやもっと前から気付いていたかもしれない。最近新しくきた仕事に僕はアサインされたのに先輩はいなかった。
先輩は辞める理由を深くは語らなかった。ただ、お前とは長いこと一緒にやってきたから俺の口から言いたかった、と。
先輩が辞めて、今まで気付けなかったことに気付くようになる。
細かい上司と、わーわー言う僕みたいな後輩の間に入って、こんなに大変な役回りをしてくれていたのか、とか。
先輩の立場はこんなにたくさんのことを考えなければいけないのか、とか。
会社の人たちはいまだに先輩の話をする。
こんなに愛されていたんだ、とか。
僕のケアレスミスに気付いてくれる人がもういない、とか。
お世辞にも仕事ができる人ではなかったけど、だからずっと頼りないって思っていたけど、そんな先輩の背中は大きくて、辞めた今はもう先輩に追いつくことはできない。
今年で4年目になる僕にはまた新しい後輩がついて、やっぱりまた悩んでたりするけど、きっと先輩に相談したら、
「スロースターターもおんねん」
って笑いながら言いそうだから、気長に頑張るつもりです。
ウーロンハイを笑顔で乾杯出来るその日まで。
もちろん濃いめで。