死ぬ気でやってみろ死なないから
何も言えずうつむく僕に、先生は言った。
高校1年生の秋。
翌年からはクラスを進学先によって分けると聞かされた。
A組とB組は私立文系、3組は私立理系、4組が国公立みたいな。
当時僕は、自分のことをそんなに頭が悪くないと思っていた。
”そんなに悪くない”
ここが重要で、頭がいいとは全く思っていなかったが、悪いとも全く思っていなかったのだ。
そんな僕は、親も期待してるし、と国公立クラスを希望した。
ある日担任に呼ばれた。
「お前は国公立を目指しているのか?」
そのつもりです、と答える僕に先生は言った。
「今の成績では国公立クラスにいれることはできない」
まっすぐ、はっきり言われた。びっくりした。
希望すれば入れると思った。
入ればなんとかなるとも思ってた。でも違った。
「本当に国公立クラスに入りたいなら、次のテストである程度点数を取らないといれられない」
はい、としか言えなかった。
僕は、自分で思っていたよりできるやつではなかったんだな。
次のテストの結果が出て、また先生に呼ばれた。
「もう一度聞くけど、国公立クラスに入りたいんだよな?」
はい、と答えたはいいが、正直もう分からなかった。
「成績を見れば厳しい。授業についていけないと思う。」
ダメだったんだ。僕は何も言えずに下を向いた。
そんな僕に先生は言った。
「死ぬ気でやれるか?」
え?思わず顔を上げて拍子抜けた声を出してしまった。
「まだ足りないが点数は上がった。あと少し頑張れるか?頑張れるなら希望のクラスに入ればいい。」
本当にそのクラスに行きたいのか、その時まで不確かだった。
親の期待に応えたいという邪念が大半を占めていたと思う。
でもこの瞬間、僕は心の底から ”そこにしがみつきたい” と思った。
頑張った過程だけでなく、先生がこれからの僕を信じてくれたから。
職員室を出ようとする僕に、まっすぐ、はっきりと先生は言った。
「死ぬ気でやってみろ死なないから」
この後すぐに僕の転校が決まった。
転校先では進学先に合わせたクラス替えはなくて、結果を言ってしまうと国公立は受けずに、私立の大学に入学した。
でも僕が大学に合格することができたのは、紛れもなくあの時先生が言ってくれた言葉があったからだ。
きっと受け手によっては暴力的とも取れる言葉だし、無責任だという人もいるかもしれない。熱すぎるとうざったく思う人もいるだろう。
僕には、死ぬ気で ”生きろ” に聞こえた。
その時死にたいと思っていたわけではないけれど、とにかく生きようと思えた。
そして僕は先生に出会って、教師になるという夢を持つことができた。
教育実習に行った。憧れの教壇に立った。教員免許を取った。
他にやりたいことがあって教師にはならずに就職したけど、僕の頑張りの源は、常にあの時の先生の ”生徒を信じる目” だ。
働く場所は違えど、先生みたいな大人でいたいと思ってる。
先生、元気かな。