どうやら僕は何者でもないらしい


26歳。会社員。

それ以外の言葉で簡潔に自分を表現する言葉を持ち合わせていない。


学生時代を振り返ると、いわゆる陽キャラのグループに所属していた。(決して自慢したいわけではない)

自分が何かを話せば周りは笑ってくれたし、いつからか浸透したいじられキャラは居心地が良かった。


「きっとここでは、出来ない方が面白い」

「実は本気だし熱くなってるけど、キャラじゃないし冗談にしとこう」


人に求められている実感があった。

人が求めてくれることが嬉しかった。

そうして僕は、”誰かにとって理想の誰かでいること” に必死になっていった。


大学を卒業し会社に入っても、習慣というものはそう変わらない。

入社して間もない時に、今流行っている音楽を探すという作業があった。

僕はいくつかをリストアップし、YouTubeのリンクを添えて展開した。

すると上司からこう返ってきた。

「相手が次にやる行動を考えて、先回りできることは素晴らしいです。このあと私は、提案してくれた曲をYouTubeで探そうとしていました。ありがとう。」


新人の自分ができることなんて限られている。

だったらできることは全部やろう。

先輩を楽させるのが後輩の役目だ。


そんな風に理想の後輩を想像し、そこに自分を持っていこうとした。

聞こえはとても良い。


ここまで読んだみなさんが、

「こいつビジネス書に影響でもされて安っぽいこと語ってるな」

と思っていそうで、ここに来て不安になっています。


しかし、ここでは成功論なんて語る気はサラサラなくて、僕の ”現在進行系の足踏み” を見守っていただけたら、と厚かましくも、そんな風に思っているわけです。


話は戻りますが、理想の後輩である自分を必死に作り上げた僕は、社内でも仕事ができると言われるようになります。

「この間やってた案件、新人なのにメインでやったんだって?」

「喫煙所で○○さんがお前と仕事したいって言ってたよ」


周りから聞こえてくる言葉は、理想の後輩像にぴったりで、望んでいたもののはずだった。

でも僕は、その理想の行いによって、自分で自分の首を絞める事になった。


学生時代にはあまり感じることのなかった、”期待されている” だから ”失敗できない” という責任。

でも弱音が吐けない。

認められて任されてるのに、弱気になるのは理想の後輩ではない。

不安も恐怖も自分の中に溜め込んで、なんとかパワーに切り替える。

本当は心がザワザワしているのに、平気な顔をして言う。

「大丈夫です」


その結果、これと言って大きな失敗はない。(もちろんたくさんの人のサポートあってのことで、僕一人で成し遂げたということが言いたいわけではない)

そして大きな失敗ができていない僕は、未だに、”大丈夫シンドローム” だ。


入社して4年が経った。

今はもう理想の後輩像は追いかけていない。

後輩が入ってきたから、そう、今度は理想の先輩像を考える。


−スピードと質が求められる仕事が目の前にある−

本当は、これやっといて、なんてクールに決めてみたい。

ただそれは僕の理想の先輩ではない。


となると理想はこうだ。

「時間も時間だしやっとくから後で共有する、今日はもう上がっていいよ」

もしくは、「やってみて、最後までとことん付き合うから」


何人かの後輩と仕事をしてきて、僕の理想とする先輩に教えられると、2種類の後輩が育つことが分かった。

1つ目は、「自分に任せてもらいたい」と燃えるタイプ

2つ目は、「きっと先輩がやってくれる」と甘えるタイプ

どっちの後輩が良いという話がしたいわけではなく、僕はこんな風に分析して、理想の先輩像を更に突き詰めようとしている。


僕は、ずっとなりたかった。

確固たる何者かに。

なのに気付けば、場面場面で相手に合わせて、何者かになった気でいた。

それこそがまさしく ”何者でもない” という証拠だったのに。


やっとそこに辿り着いた。

だからこの場を借りて練習したい。

「僕は何者でもない」

そう言葉にする練習を。

周りはずーっと前から知っていて、そもそもそこまで期待してないよ、ってことは理解してる。

ただ自分自身がそれを許してなかったから。

自分を解放してあげる。

「君は何者でもないよ」


26歳。会社員。どうやら僕は何者でもないらしい。

何者でもない僕が、何者かになるまでの足踏みをこれからも綴っていきます。


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僕が何者になるか、あなたに見届けてほしいです。

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