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あの頃の「また明日」が教えてくれること


大学生の頃、約1年間の留学をしていました。


高校受験も大学受験も自分の思い描いた通りには行かず、人生において成功体験がなかった僕は、自分の考えや行動、未来に対しても希望が持てませんでした。

今思い返すと少し笑ってしまうくらい、とにかく自信がない学生でした。


そんな学生が、教授から聞く"留学"に憧れや幻想を抱き「行ってみれば?」を完全に間に受けたのです。


日本から出たくない意識も、片時も離れたくない相手もいませんでした。人に対してどこか冷静だったからだと思います。



行ったことのない土地で、初めましての人と生活を共にするのは苦痛だろうと思っていました。


加えて現地に着くと、外国人を相手にすると思っていた予想は裏切られ、日本から来ている留学生も多くいました。

同じ日本というだけで仲間意識が芽生えるも、出身地が違うと言葉も性格もバラバラで戸惑うことも。


「言葉が通じない」怖さから「分かる」喜びに。

「感情が伝わらない」不安から「分かる」感動に。


通じない、伝わらない、そんな自分のことしか考えていないネガティブな感情は早々に捨てることができました。


違うな、彼らが僕の建てた壁を楽々と越えて、こじらせたネガティブを代わりに捨ててくれたと言った方が正しい。


相手が僕を分かろうとしてくれたから僕も分かりたいと思ったように、分かってほしい時には自分がまず相手を分かろうとするようになりました。

これは相手が外国人じゃなく日本人でも誰であっても同じ。


英語や韓国語、方言まで飛び交う空間で、毎日のように仲間たちと過ごしました。当時話したことは全く覚えていないけど、あの瞬間を思い出すと自然に笑顔になれます。


美化されてることが大半だけど、大変なこともありました。思うように英語力が上がらなかったり、ささいなことで仲間とぶつかったり、淡い恋をして悩んでみたり。


それでも一番辛かったのは、日本に帰る日が来ることだったかもしれません。


全国に散った仲間たちとは、帰国後会った人もいれば、あれから一度も会っていない人も。国外にいる仲間たちとはSNSで。


「また明日」に終わりがあることを、帰国してから痛いくらいに感じました。



帰国後、美容室に行くと言われました。

「よく話すようになったね」


電話していると、家族に言われました。

「電話苦手じゃなかったっけ?」


授業終わり教授に言われました。

「目が変わったよ」


友達と飲んでいると言われました。

「パワーアップしたな」



自分で自分を変えられる人もいるけれど、少なくとも僕は違いました。失敗する度に自分を責めて、その失敗を何年も引きずって。


そこから一歩踏み出すと、広い世界がありました。立ち止まって悩むなら、歩きながら考えてみようかな、そんな風に思い直せるようになりました。


あまり日本にはない、ポジティブすぎるくらいの感情で接する人達との時間があったからだと思います。



「よろしく」と握手をして

「おはよう」と手を上げて

「じゃあ後で」とアイコンタクトして

「やった」とハイタッチして

「また明日」とハグをする。


人とのスキンシップがあまり取れない今、ふと思い出した美しい青春の思い出です。



あの時の「また明日」を覚えていよう。

今ある「また明日」を育てよう。

これからの「また明日」を抱きしめよう。






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