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I'm thinking ...

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「Thinking」では、 日常生活で感じたこと働いていて考えたことなど ひとりごとを書いています。
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#note

好きなように咲けばいいし咲かなくてもいい

人はみんな花だ とした場合。 いろんな種類があるし、それぞれの咲くタイミングがある。 同じように各々に合う肥料がある。 なのに綺麗に咲く花を見ては嫉妬し、自分には合わないことに気付かずに誰かの肥料を真似して、同じように咲けないと嘆く。 趣味が肥料の人もいれば、仕事が肥料の人もいるし、恋愛が肥料の人もいれば、一人が肥料の人もいる。 自分に合う肥料を見つけることが難しい。 でも肥料の前にまずは水が必要だ。 じゃあ水はなんなのか。 今のありのままの自分を自分が認め

自ら来たのか流れ着いたのか

夢があった。 正確に言うと、あった"はず" だ。 でも逃げたのは自分だ。 ふと、本当にそうするしかなかったのか考える。 考えるとまた苦しくなってくる。 そもそも僕が向かっていたそこは本当に行きたい場所(=夢)だったのか? 夢という不確かなものに向かっていた僕はいつの間にか前に進むことよりも溺れないことに必死になっていた。 そんな時にちょうど目の前に現れた島は心地良さそうに見えた。 いざ上陸してみたら本当に住みやすかった。 過ごして半年、ふと回りを見渡したら元

27歳の僕がこわいもの

海底。 幽霊。 鋭利なもの。 歯医者の音。 そして、 半年に一回の血液検査。 2019年、会社の健康診断で肝臓E判定と出た。 大きな病気をしたことはない。 不健康な生活… それには少し心当たりがあった。 当時、自分の心が崩れる音が聞こえるような辛いことが起こった。 現実から逃げる方法を仕事とお酒しか知らなかった僕は、毎日ヘトヘトになるまで働いて、フラフラになるまでアルコールを体に流し込む生活をしていた。 そういえば検診前日の夕飯もチャーハンと瓶ビールだ

知らない先生の授業を受けた朝

テレビを観ている夢を見た。 50代くらいの男性中学教師に密着する番組。 その先生は少し白髪が混じっていて、 おしゃれとはいい難い古風な眼鏡をかける 優しい顔つきの先生だった。 どうすれば飽きない授業ができるか、 生徒に寄り添った授業をするから慕われていた。 ある日の授業で先生は言った。 これからは見てもらう授業はやめる、 君たちには推察する力を持ってほしい。 みんな何を言っているのかわからない というような顔で先生を見ていた。 授業が終わり、 一人の学生が先生に近

最初にブルーを選べば誰ともかぶらないでしょ?

ある女の子の話です。 彼女は少し泣き虫でした。くりくりした目に大粒の涙を溜めて、この世の終わりぐらい悲しそうに泣く姿は彼女のお兄ちゃんそっくり。 でもそんな泣き虫ガールを卒業すると、女の子特有の社交性を発揮し、あっという間に「見て聞いてガール」になっていました。 ある日、好きな色の話になりました。 1人の女の子が「ピンク」と答えると、まだ幼稚園生だった彼女は「ピンク好きだけど、幼稚園ではブルーって言うの」と答えたのです。 どうして?と僕が聞くと、彼女は少し勝ち誇った

父と僕を繋いださくらんぼの詩

昨夜Twitterを見ていると馴染みのある名前が目に飛び込んできました。 閉まっていた感情が一瞬にして蘇って、感情を言葉にせずにはいられませんでした。 父の書斎にはお菓子BOXというものがありました。 高い本棚の上に置いてあるため僕や妹の背では届かず、それはそれは特別輝いて見えました。 ご飯ができて父を呼びに行ったり、母に頼まれて何かを渡しに行った時、にやにやしながら箱を指差しせがみました。 父がくれるお菓子はチョコレートやクッキーなど甘いものが多かったのですが、常

あの頃の「また明日」が教えてくれること

大学生の頃、約1年間の留学をしていました。 高校受験も大学受験も自分の思い描いた通りには行かず、人生において成功体験がなかった僕は、自分の考えや行動、未来に対しても希望が持てませんでした。 今思い返すと少し笑ってしまうくらい、とにかく自信がない学生でした。 そんな学生が、教授から聞く"留学"に憧れや幻想を抱き「行ってみれば?」を完全に間に受けたのです。 日本から出たくない意識も、片時も離れたくない相手もいませんでした。人に対してどこか冷静だったからだと思います。 行

大人でも子供でもない君へ

新成人のみなさまおめでとうございます。 タイトルに棘があったらすみません。変な意味はなく、6年前の僕が思っていたことなんです。 20歳になった途端、大人は言います。「大人になったな」と。でも急に大人になったりはしません。 少し天邪鬼なことを言いますね。 大人の定義が分別がつくことであるならば、20歳より前に大人になっている人もいるでしょう。 大人の定義がお酒が飲めることであるならば、50歳になってもお酒が飲めない人は大人じゃないのでしょうか。 めんどくさいことを言

明けない夜も年もないんですね

あけましておめでとうございます。 とても長い間書いてなかったように思います。 書くのを義務化したら辞めたくなってしまう、そう思ったので自由にした結果、やはり忙しさを言い訳にしてしまいました。 今年は何か目標を掲げて、更新を習慣化しようと考えております。 もう少しだけ言い訳にお付き合いください。 お声をかけていただき職を変えようか悩んでいました。 職を変えると言っても、業界は同じで立つ場所が変わるイメージです。 結論から言うと、今の会社に残ることを決めました。

三度目の正直

言い訳をします。 複数の案件が同時に降ってきて 自分の今後を考えるような転機が訪れて とにかく頭も手もフルで動かしてました。 そんなわけで更新できませんでした... 慌ただしい一週間の最後を締める今日。 朝目覚めると悲しいのやら嬉しいのやら 複雑な気持ちになりました。 夢に父が出てきたからです。 僕の両親は離婚しています。 家族に対する父の裏切りが原因でした。 一度ではなく二度も。 僕は許せませんでした。 だから許しませんでした。 夢の中で父は

叱られたから嬉しくなった

会社に入った頃、 とにかく電話対応が嫌いだった。 社会人として慣れてなかったのも 理由としてはあるけどそれ以上に、 僕みたいな若造にする話しか? と思うことを話してきたり、 脇道に逸れてばかりで 本題になかなかいけなかったり、 そういうのが面倒だと思ってた。 確か2年目の時だったと思う。 僕がいつも通りスタッフと電話をした後に 疲れからため息をついていると、 先輩が近寄ってきて「大丈夫か」と 声をかけてくれた。 この先輩は以前の記事にも出てきた

自分らしい独裁者になれ

一緒に仕事したことはなかったけど 僕はあの人に憧れていたんだ。 その先輩は僕よりも先に会社にいた。 入社という意味でも 出社という意味でも。 だけど、 どんなに忙しくても楽しそうに見えた。 キラキラしていた。 これから会社を引っ張っていくんだろうな.. 新人の僕でさえ分かるくらいだった。 視野が広く、感度が高く、 話し方も整理されていて上手だった。 僕が先輩と関わるようになったのは 2年目に入ってからだった。 うちの会社には若手の社内研修がある。

みんなちがってみんないい

初めてこの詩を知ったのは、小学生の時だろうか。 僕は意味があまり分からなかった。 空を飛べないことも、音が出ないことも、当たり前じゃーんなんて、趣のないことを考えてた。 中学生、他者との違いに気付き始める頃、僕はこの詩に再会した。 先輩だからこうしなければいけないとか 後輩だからこれをしてはいけないとか 男の子だからズボンを履くとか 女の子だからスカートを履くとか 学校では髪を染めちゃいけないとか 制服着用が義務とか 生まれた国が違うとか 育った国が違うとか

死ぬ気でやってみろ死なないから

何も言えずうつむく僕に、先生は言った。 高校1年生の秋。 翌年からはクラスを進学先によって分けると聞かされた。 A組とB組は私立文系、3組は私立理系、4組が国公立みたいな。 当時僕は、自分のことをそんなに頭が悪くないと思っていた。 ”そんなに悪くない” ここが重要で、頭がいいとは全く思っていなかったが、悪いとも全く思っていなかったのだ。 そんな僕は、親も期待してるし、と国公立クラスを希望した。 ある日担任に呼ばれた。 「お前は国公立を目指しているのか?」