食べたものを描くDAYSのこと
今年に入って絵を描きたいと思っていた。
ちょうど年末にiPadとApple pencilが使える環境になっていろんなアプリを試したりしていた。
自分は小さい時から毎日絵を描いて過ごしてきて美術大学を出たが、特に表現したい人ではなかった。そういう理由もありデザインの方に進んだけど手を動かしたりモノを作ることは好きなので、なにか日常でできるちょうどいいものがないかと考えていた。
ふと、夕飯のおかずを絵に描いたところ褒めてもらったのをきっかけに食べたものを描いてはnoteに投稿する日々が始まった。
次の絵は最初に描いたゆで卵のサラダと大根の煮物。
ペイントアプリは、ちょうどこの頃、友人でイラストレーターの依子さんにラフとかを描くのに「Adobe Sketch」がよいと聞いたところなので試しに使ったところ割とタッチがハマっていい感じのが描けた。
自分できめたルールは1つだけ。「記憶だけで描く」こと。見たら確実に描けるので面白みがないので。
描いていくうちにわかったのは、「自分で作ったものを描くのはあまり楽しくない」こと。
たぶん材料や工程を知っているので、自分にとって新鮮味がないのだと思う。何というか、現物を見て描く以上に、分かりきっていて白けてしまった感じ。次のは自分で作ったカオマンガイ(カルディのやつ)だけど途中で描き込むのに飽きているのが分かる。
もう一つわかったことは自分が「美味しいと思った部分しか描かない」ことにも気づいた。
描いた絵を料理を作った人に見せたところ、一部具材が描いていない、とのこと。言われてみたら確かに入っていたけど覚えていなかった。
このお弁当、ほかに何が入っていたか未だに思いだせない。
別にネガティブな意味はなく「竜田揚げと玉子焼きがよっぽど美味しかったんだね」と面白がってもらえた。
それ以来、せっかく作ってもらったので、なるべく具材くらいは覚えておこうと思っているが、美味しいと感じた箇所のほうが圧倒的に美味しそうに描けている。
上の2つは主にタルタルソースへの情熱を自分でも感じる。(このときは友人に瓶詰めのタルタルソースをもらった時期だったと思う)
こういった料理や食事にまつわる会話や思い出、記憶のギャップも楽しく、他人が作ったものを記憶のみで描くという企画はとても良かったと思う。
最近はiPadで描くことにだんだん慣れてきたので下書きをしたりレイヤーを使ったりしてちょっとだけ上手くなってきた。ちょっと地味だけどワカメの滑り感と紫たまねぎの透け感はお気に入り。
また、何を食べたかそもそも忘れてしまう問題もあるので、すぐに描く時間が取れないときはとりあえず下書きを書くようにしている。
が、誰が見ても分かると思うが、下書きしたものの色も説明もないと何が描いてあるか分からない。これはカボチャのそぼろ餡かけだった。これからはタイトルもメモることにした。
仕事の状況とかで時間や余裕がないと途切れがちだけど自分のペースで続けたいと思う。
ちなみに誕生日を祝ってもらってレストランに行った時のやつは流石に写真を見て描いた。このときはお店の人にも喜ばれたので美味しそうに描くスキルを磨いておいて良かったと思った。
この記事を書きながら気づいたことだけど、これらの作業は絵を介して生活や周囲の人、あるいは自分と対話になっているみたいだ。
何もしなかったらそれなりに楽しく過ぎていく出来事だけど、記録に残すことで何かを確認できたり、それを見てまた笑えることに気づいた。
そんなこんなで、ちょうど先日入籍することになったので、楽しい日常が続くように描き続けたいと思った。
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