見出し画像

10年。あの日のこと、そしてそれから。 4

 今の生活に満足できなくなると、「自分は不幸だ」と思い込んでしまいます。東日本大震災で学んだことの一つに『当たり前のことが実は当たり前ではない』というものがあります。自分の隣にいる人が、いつどうなるのか分からない昨今の情勢にも同じことを思います。

 前回までの記事はこちら。

 震災から3日目の朝を迎えても、相変わらず停電は続いていて、こんなに長い停電は初めてだったので震災の甚大さを思い知りました。

 3日目ともなると徐々に震災の規模や被害の大きさが見えてきます。停電しているので情報源はワンセグかラジオなわけですが。そんな中でも手に入らない情報がありました。

 それは食料とガソリンです。

 まずは食料。震災後、被災地では物資不足に陥りました。お店に行っても食料がないんです。物流の寸断と買い占めの影響もあったのでしょうか。物がないことにより買い占めがさらに加速していたのではないかと思います。幸にして我が家は田舎ですので野菜類には困りません。なので食料品が底をつくことはなかったのですが。

 このコロナ禍の入り口でもマスクやトイレットペーパーなどの買い占めがありました。台風19号災害の時や大雪が降った時など、災害が起きた時にはいつもお店から物が消えました。幾多の経験から、我が家では最低限の水や食料品を備蓄するようになりました。

 そしてガソリン。これは田舎社会にとっては深刻です。食料問題より深刻だったかもしれません。震災後、開店したスタンドには長蛇の列ができました。「あのスタンドが何日の何時に何リッター売るらしい」という噂がたくさん流れました。嘘も真実もごちゃ混ぜだったのでしょうが。私はまだ学生でしたから車は持っていません。しかし私以外の家族はみんな車を所有していました。田舎ではひとり1台が当たり前なのです(車がないと仕事にも行けないし遊びにも行けない=生活が成り立たない)。

 嘘か本当かわからない情報を元に、私の家族はガソリンを求めて車を走らせていました。ひどい時には1キロ以上の行列ができていたようです。

 余談ですが、先月発生した福島県沖地震の直後にはガソリンを入れるために、夜中にもかかわらずスタンドに列ができていたそうです。それだけ当時のガソリン不足が人々に与えたダメージは深刻だったということです。

 そして余談をもうひとつ。その頃、原発事故の避難者を乗せた自衛隊のヘリコプターがどんどん降り立っていました。通っていた高校の近くの、小学校のグラウンド。そしてその向かい側にある県の施設がスクリーニング(放射線測定)と除染(衣服や体表面に付着した放射性物質を取り除く)の会場となっていました。

 ガソリンを求めて街まで行った叔父と従兄弟がその会場を通りかかって、「白装束の人がいっぱい居た」と興奮気味に話していました。今でこそ、コロナの影響もありタイベックスーツは見慣れたものとなりましたが(見慣れてはいけない気もしますが)、当時はそれだけセンセーショナルな光景だったということです。

 その施設は高校の頃、テスト勉強や暇つぶしで使っていましたから私にとっても少なからずショックでした。

 その日の夜、ついに電気が復旧しました。最初に気がついたのは私。ふと暗闇の中でテレビの電源ランプが光っていることに気がつきました。

 「あれ?これって電気きてないと点かないよな? 」

 そう思って、電灯のスイッチを押したら電気が点くのです!

 あの時の興奮と安堵感は一生涯忘れられません。嬉しくて家族に真っ先に伝えに行きました。本当に嬉しかった。電気が使えることがこんなにも幸せであることを初めて知りました。

 ですが、電気が復旧したことにより困ったこともありました。テレビという情報源が濁流となって襲ってきたのです。

 見たこともない映像がデジタル画面に映し出されました。

 津波。倒壊した家。流された車。原発の爆発。安定ヨウ素剤の配布。

 見なくてもいい情報が、いっぱい目に入りました。それらが、17歳の少年の心をどれだけ傷つけたでしょう。

 小さなワンセグ画面ではわからなかったことが、たくさん沢山目に入って、脳で暴れて、心を砕いていきました。

 それから程なくして、学校は春休みになりました。前にも書きましたが、震災の日は高校受験の休校でした。終業式どころか連絡すらないまま春休みになりました。学校の休校はテレビに出ていたL字の情報画面で知りました。もう学校なんてどうでもいいやというのが当時の思いでもありましたが。

 この辺りから記憶が曖昧になりつつあります。震災直後の記憶は鮮明なのですが、数日が過ぎて比較的被害の少なかった自分は、電気が復旧したことで最低限の日常を送れるようになっていました。

 テレビからは頭がおかしくなるほどACのCMが流れていて。ぽぽぽぽーんとイビチャ・オシムのCMは今でも脳内再生できます。

 上空では昼夜問わず自衛隊や報道のヘリコプターが飛んでいて、原発ではメルトダウンなどの今までに聞いたことのないワードが出てくるようになりました。

 「空間線量は○μSv/hです。」

 謎の数字と単位。福島県民を苦しめる値。

 毎日、何度も何度も繰り返されるこの値は、皮肉なことに幼い子どもたちが覚えてしまうほどでした。それから数年間自分たちがその数値に苦しめられるとも知らずに。

 春休みはただ、何もできず、無気力のまま過ごしました。

 何を頼りにこれから生活していけばいいのか、このまま此処に住むことができるのか。何もかも分からなかった。ただ、怖かった。

 高校3年生が見つめる羅針盤は、その場でぐるぐる回り続けていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?