#64『海の街道』
街道シリーズ、最後は『海の街道』を取り上げて見たいと思います。
主要な海の街道は、3つです。
・『東廻り航路』
酒田(山形県)から東北日本海沿岸、津軽海峡、太平洋の沿岸の港を通り、江戸に至る航路です。
酒田→土崎→能代→鰺ヶ沢→青森→八戸→宮古→石巻→塩竃→荒浜→平潟→那珂湊→銚子→小湊→江戸
・『西廻り航路』
酒田から佐渡(新潟県)、能登半島(石川県)を経て山陰地方の港を経由し、下関(山口県)、関門海峡を通過して瀬戸内海から大坂に至る航路です。
酒田→小木→福浦→柴山→温泉津→下関→大坂
・『南海路』
大阪から紀伊半島を回り、志摩、伊豆半島の下田を経由して江戸に至る航路です。
大坂→大島→方座→安乗→鳥羽→妻良→下田→江戸
五街道をはじめ、脇街道などの陸路は幕府や大名により整備が進められました。その一方で、日本海沿岸や太平洋沿岸の海路の整備も進められました。海上交通の発達を担ったのは、「幕府・藩の年貢米の輸送」でした。とりわけ幕府は、全国各地からの年貢米を集めるために港の整備を積極的に行いました。各藩も年貢米をお金交換えるため、大坂や江戸に米を運ぶ必要がありました。
また、江戸は人口が急増し、米の生産地ではない江戸は、米をまかなう必要が生じました。また、えどでは、急増した人口の生活用品を作る産業も十分ではなかったため、その多くを関西に頼らなければならない状況でした。
大坂から江戸に向かう船の主な積荷は、
「酒」、「油」、「砂糖」、「蝋」、「鉄」、「木綿」、「紙」、「昆布」、
「鰹節」「糸」などでした。こうした大量で保存が効く物資の輸送には陸路よりも海路が優っていて、江戸に物資が集まるようになると、大坂~江戸間だけでなく、全国を結ぶ航路が整うようになり、全国的な物流が海路を通じて活発になっていきました。
海上輸送を支えたのは、「千石船」とも呼ばれた「弁財船(=べざいせん)」と呼ばれた帆走専用の船で、乗組員も魯の船に比べ少なくすみました。海上交通に発達に伴い、船の改良や大型化も進みスピードや安全性も高まっていき、日本の物流に欠かせない存在になっていきました。