#60『日光街道「名所・名物」』
日光街道は、日本橋を起点に、千住から今市まで20宿、東照宮のある日光に至る総距離が約140kmになります。「日光」という地名は、奈良時代の僧、勝道上人が男体山を開き、霊場としたのが始まりです。男体山のふもとの呼び名は「二荒山(=ふたらさん)」で、「ふたら」を「ニコウ」と読み、「日光」という文字をあてたとされています。「二荒」の由来は、仏教の言葉で、観音菩薩が住む地からきていると言われています。
「名所・名物」
・1宿「やっちゃ場」(千住)「やっちゃ場」は、野菜などを扱う青物市場のことをいいます。千住は、神田、駒込と並ぶ江戸三大青物市場でした。近くに、荒川、隅田川、綾瀬川が流れていて運搬に便利な立地条件でした。
・2宿「草加せんべい」(草加)草加は、稲作が盛んな地域でした。農家では蒸した米をつぶし、丸めて干したものに塩をまぶして焼き、おやつにしていました。このせんべいが旅人向けに売り出されて人気商品になりました。
・8宿~9宿「松並木」(中田)~(古河)紀行文の中でも、”並木の松の間から古河の天守閣が眺められ、富士山も雲の上から眺められ・・”と松並木が大変美しい場所として知られていました。
・10宿~17宿「生糸・桑畑」(野木)~(宇都宮)この地域は、日本を代表する「養蚕の地」の一つで、一面桑畑が広がっていたそうです。
・16宿「かんぴょう」(雀宮周辺)海苔巻きなどにして食べる干瓢は、夕顔の実を細長く削って乾燥させたものです。現在も、栃木県が「干瓢」の全国生産量の98パーセントを占めています。
・17宿「大谷石」(宇都宮)大谷石は、天平時代から寺院の土台などに使われた「軽石凝灰岩」の一種です。大谷を中心に広大な地域に分布しており、少なくなりましたが、今でも塀などに使われています。
・「太郎杉」(日光)東照宮の入り口、神橋のたもとにある樹齢550を超える杉で、日光のシンボル的な存在です。
・「日光彫」(日光)東照宮を造るため、全国から集められた「彫師」や「漆師」などの職人が箪笥やお盆を作って販売し、「日光彫」として大変人気をあつめました。
・「日光下駄」(日光)江戸時代、神官や僧侶が境内に入るとき「草履」を履いていましたが、石や雪が多い日光の山内では竹の皮で編んだ草履に木の台をつけた「御免下駄」が使われていて、「日光下駄」として広まりました。
・「しそ巻き唐辛子」(日光)塩漬けにした唐辛子を、しその葉で巻いたもので、もともとは修行者の食べ体を温める効能があるため、旅人や東照宮参りのお土産となりました。
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