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#70『時計のはなし』Vol.2

私たち3人は、機械式時計の誕生前の時計で『水時計』を調べることにしました。理由は、事前の調査で『日時計』と『砂時計』に人気が集まりそうで、抽選にはずれてからテーマを選びたくなかったからです。それと、『水時計』のことをまったく知らなかったので、”おもしろいかも”で意見がまとまりました。

『水時計』
最も古い『水時計』で現在も残っているのが、紀元前1400年ころの
・エジプトのアメノフィス1世が使った「石膏製の水時計」だそうです。
それでは、調べたことをまとめてみたいとおもいます。
『日時計』は非常に古い歴史がありますが、一番の欠点は太陽が照っているときにしか使えないことです。人間の暮らしも少しづつ変化するようになり、夜の時間も知る必要が生まれてきました。
・マレー半島の海岸地方では、ヤシの実を二つに割って殻の真ん中に小さな穴をあけ、水に浮かべました。水が殻に少しづつ入ってきて沈むと太鼓をたたいて住民に時刻を知らせたそうです。
・北インド地方では、銅でできた鉢の底に穴をあけ水に浮かべ時刻を知ったそうです。
私たちが調べた中ではこの二つの例しか見つかりませんでしたが、このように器の水が入り込むことを利用したものが「最も古い型の水時計」のようです。
その後、器に水が入る型から、
・穴のあいた容器から水が出る型に変わっていったそうそうです。
アメノフィス1世の「石膏製水時計」もこの型になります。また、容器の内側に目盛が刻まれているものもあり、灯りがなかった時代に手で触って水の減り具合から時刻を知る工夫もされていました。3人とも”へー”と感心して”すごい”の言葉がでるまでに10秒ほどかかりました。(笑い)
ところで、この「水時計の器」は、太さが同じ円筒形で作られていませんでした。形は、今のバケツのように上が広くなっていました。
Q1「それは、どうしてでしょう?」
Qは、プレゼンテーションの時にして見たいと思っています。
noteの読者のみなさんの答えはどうでしょうか?記事の最後に答えを紹介したいと思います。
「水時計」の歴史は古く、様々な工夫が加えられたようですが、特にギリシアを中心に発展したそうです。
・クテシビオスの水時計
流れ込む水の力で浮きを押し上げ、浮きについた人形が時刻をの目盛を指す仕組みがされていました。そのほかのも、クテシビオスは様々な工夫をこらした「水時計」を発明し、「水時計」の完成形を作った人といわれているそうです。少し複雑なものもあり、小学生の私たちにはよくわからないものもかなりありました。”もう少し大きくなったら再トライしてみたいとおもいます。”
次は、中国で使われた「水時計」を紹介してみたいと思います。
・穴をあけた容器から落ちる水を別の容器に受け、その水面に浮きを浮かべて指し示す型が多く使われていたそうです。減り方げ知る型と増え方で知る型の違いですね。
ここでも優れた工夫がされていました。受ける器を4つつなげ、上から下にだんだん落ちていく方法がとられていました。これを「漏刻=(ろうこく)」とよんだそうです。
Q2「なぜそのようは方法がとられたのでしょうか?」
それでは、日本で使われた「水時計」を紹介してみたいと思います。
『日本書紀』のなかに、671年4月25日に天智天皇が自ら「水時計」を作り、鐘をならして時を知らせることをはじめたという記述があるそうです。
・天智天皇の「水時計」は、中国の「漏刻」を参考にしたといわれているそうです。実物は残っていませんが、江戸時代の書物『漏刻説』にその図が残されているそです。残る記録の中ではこれが最も古い時計で、旧暦4月25日は現在の6月10日にあたるため、「時の記念日」になっています。
私たちが調べた『水時計』の歴史やしくみは以上です。

A1「底の穴から出る水の量は、水かさが多いほど圧力が多くかかり、多くなります。今度は、水かさが少なくなると圧力が弱くなり、出る水の量が少なくなるからです。」
A2「上の器の水が多く流れ出ても、中間の器にたまり、一番下の器にたまる水の量は平均化され一様になるからです。」

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