Vtuberは層で出来ている & Vtuberコラボ行動論―御伽原江良と童話組のあれこれを踏まえて―
Vtuberとは、厚い厚い層で出来ている。バーチャルライバーもまた同じであり、その厚みは無限である。ココ最近に起きた御伽原江良と童話組のあれこれを見て、私はそのような考えを深めた。これは一つの思考実験とさえ呼べない、想像上の遊びだ。
これもまた多くの人から意見を募りたい内容であるから、ここにまとめて記したく思う。
Vtuber・バーチャルライバーの構造を、私は今のところ3層に分けた。この層の内、どこまでをリスナーに見せていくか・いくつもりかで、配信者の性質がある程度分類できるのではと、私は考えている。今のところというのは、この層はこれからも増えていく可能性があるからだ。以下がその内容である。
1. 原始設定を保守するキャラ(ここをRP勢と呼ぶ者たちは多いし、筆者もそう定義するのが妥当であると思う)
2. 1を体面的には保とうとするも、結果的に逸脱するキャラ
3. 2すらも演技だとして、自身を素であると称するキャラ 4.5.6……
以上だ。
今はたった四行にも満たないリストであるが、この枠組みには拡張性がある。Vtuber・バーチャルライバーといったエンタメ文化が続き、多様性に富む中で数値は無限に増えていくだろう。人は常に飽き、新しいモノを求めるからだ。なお、数値が大きい方がコンテンツとして優秀であるだとか、少ない方がコンテンツとして王道であるとか、そんなことはない。ただ、数値の大小によって露わになる配信者の性質は存在するし、リスナーが求めていることも異なると、私は考える。
この数字を元に、Vtuberのコラボについて考えてみたい。基本的には数値が大きい程に、キャラの言動における自由度が高い。可動域が違う、生きる世界が異なっている、と形容してもいいだろう。1の配信者は1の領域でしか活動できないが、それ以上の数値でも活動できるVtuberは1の領域でも活動可能だ。両者の行動が無論同じ効果・印象を生むわけがなく、後者の場合ギャップによる魅力やおかしみを伴うだろう。だが、活動はできる。数字の異なる層が交わる際には、ライバーもファンもこの点に留意せねばならない。配信者が意図的に数字の小さい層を剥がし、より大きな層を見せてしまう行為は不可逆だ。小さい層を張り直してやり直しをすることは出来ない。一度層を増やしてしまえば、そのままである。
そして更に肝要であるのは、数字が少ないVtuberの方がコンテンツの強度としては脆いということだ。ある程度の幻想を売りにしている以上、そこに過度な現実が介入するのは致命的である。
私がこの文章で述べたいのは、1は危ういから配慮しろ、なんてことではない。Vtuberというエンタメが広がるにつれて、こうした活動領域の違いによる揉め事は増加するのではないか、という一つの思考実験である。想像上の遊びと言い換えてもいい。今はまだ最大値が3でしかないから、2で活動する配信者に対してコラボでの心配をする人なんて皆無だろう。3に至った者に関しては、そもそもはそこまでいないはずだ。しかしこれからバーチャルの分化や先鋭化が進むにつれて、そういった方たちや、そのファンも様々な杞憂をするのではないだろうか。
この記事に対し、色々と考えを聞かせてくれたら幸いである。たくさんのVtuberファンに読んでいただき、感想を頂戴したいので、拡散してもらえるとよりうれしい。