御伽原江良の妨害―RP勢と規定キャラを壊すメタキャラ―
どうしてここまで燃える(揉める)のだろうか? 怒るのだろうか?自分は普通に楽しいよ?
御伽原江良と童話組のあれこれや、深夜の地声配信で小火になっていることを、疑問に思う方も少なくないだろう。御伽原江良が普段あれだけ人を集めて生放送をしているのだから、そういった方は多数であるかもしれない。
この文章では、RP勢(もののべ めいじー 尊様など)が好きな私から、御伽原江良の発言がRP勢好きなリスナーである私にどう作用したかを書いていく。注意してほしいのは、実際にライバー当人たちがどう思っているかを書くことなんてしないし、到底できないということである。書けるものは、一リスナーである私自身の感想しか存在しない。これは個人的なモノだ。例外もあるだろう。悪しからず。
まず本題に入る前に、RP勢と既存キャラを一度破壊するキャラの衝突について書いていく。物述有栖のファンとして、メタ的な視点で論じることは可能な限り避けねばならないことは承知しているが、それでも書く。
RP勢を楽しむにあたって、リスナーは幻想を幻想のまま楽しんでいる。そこに現実の存在を考えることは無いというのが大前提だ。練られた設定を聞き取り、彼彼女らライバーの話すことを真実として受け取り、現実という無粋なモノで水を差すことはほとんどない。しかしながら、そこにはキャラを徹底して維持しようとする魂への敬意がある。だからリスナーはプロと呼んだり、禁酒以外なんでもできると称えたりする。ライバーが無粋な現実の要素を失くそうとすればするほど、リスナーは徹底の努力を行う中身へ、敬意と好感を抱くのだ。これはひどい矛盾だ。だけど仕方がないのである。
一方でキャラを壊すキャラの魅力は、建前と魂の相克で生まれるギャップにある。形式的に与えられている設定を維持できないというアクシデント、ライブ性、ランダム性に起因する面白さも含まれているだろう。本来タブーであるはずのメタ的なことを言って、おかしみに変換できるのも利点だ。上記の要素を、リスナーは楽しんでいる。
この両者がコラボをして、後者が前者のメタ的な物事に対して言及するとどうなってしまうのか。キャラ崩壊キャラが、RPを行うライバーに対して、RPをしていない『裏』と呼ばれる時が存在するかのような発言をするとどうなってしまうのか。未成年であるRPキャラに、冗談であろうと飲酒をすすめるとどうなってしまうのか。
ここからが本題だ。先述した行為は、RP勢を楽しもうとしているリスナーに対しての妨害となる。野暮な現実を持ち込まないようにして楽しんでいる、彼彼女らの積み重ねを台無しにしている。好きなモノを踏みにじられている。そして私は、御伽原江良の行為がRP勢の努力を否定することだと認識した。同僚に対するリスペクトがゼロだ。失言した本人はそんなこと微塵も思っていないかもしれないし、当人たち同士は仲が良いかもしれないし、RP上仲良くしているのかもしれないし、そんなことサラサラ思っていなくて好悪が存在しないかもしれないが、私はそう捉えた。
嫌なら見るな。シンプルな言葉である。しかしながら、人間は強欲である。出来るのならば、にじさんじというグループに所属するあるライバーを楽しんで、別のライバーを完全に見たくはない――なんでことを、思う人間もいるだろう。高望みであり、そんなことはできやしない。にじさんじの一部を見ようとすれば、嫌でも情報は入ってくる。出来ることと言えば、にじさんじ全てを見ないようにするのがせいぜいだ。自分が好きなライバーの配信を見ないなんてこともできないから、こうして散文をつらつらと書くことしかできない。
にじさんじ好きな他の方が、御伽原江良のあの行為をどう楽しんでいるのかとか、どう眺めているのかとか、どう嫌っているのかとかは、気になるところだ。教えていただけると嬉しい。