起業家精神は、起業家だけのものではない
アントレプレナーシップについて
アントレプレナーシップはなければやっていけない時代が来た
Entrepreneurship(アントレプレナーシップ)は「起業家精神」と訳されます。その中身について、ピーター・ドラッカーは「イノベーションを武器として、変化の中に機会を発見し、事業を成功させる行動体系」と定義しています。ハーバード・ビジネス・スクールのハワード・スティーブンソン教授は「コントロールできる経営資源を超越し、機会を追求する姿勢」、日本の辞書「デジタル大辞泉(小学館)」には「企業家精神。新しい事業の創造意欲に燃え、高いリスクに果敢に挑む姿勢」と書かれています。
共通しているのは「姿勢」「行動体系」に言及していて、特定の能力については一才触れていないということ。もう一つ、「事業を興すのであって、会社を登記するのではない」ということです。
多くの社会人、学生にとって、避けて通ることができないのが「就職活動」です。実はこの言葉、少し間違いがあると思っています。こと日本では、正しくは「就社活動」ではないか。ほとんどの人が、仕事ではなく、会社を選んでいるのではないか。いい会社はどこだろう、自分がやりたい仕事ができる会社はどこだろう?思うような会社が見つからなかったら、イメージが近い会社に。そして入社したら、会社が求める仕事を頑張って努めていく。そして、定年を迎える。
高度経済成長が続き、終身雇用が維持されるなら、こんな働き方にも一定の価値があると思います。でも、もう10年以上前から終身雇用の終わりは叫ばれています。ジョブ型雇用、同一労働同一賃金、すべて終身雇用の仕組みの外にあるものです。実は、終身雇用というものは、日本伝統と思われていますが、伝統というほどの歴史はありません。近代型の経済社会が日本に根付き始めたのは明治維新以降。本格的になったのは戦後といっていいでしょう。それが終わりだといわれ始めたのは、21世紀に入った頃でした。つまり、せいぜい半世紀のモデルなのです。ではなぜ、終身雇用という制度ができたのか。高度経済成長で経済は右肩上がり、ものを作れば売れる時代。企業は大量生産、事業拡大の一途で、とにかく人が欲しい。正確には労働力が欲しい。そこで、「うちに入れば一生安泰だ。だから黙って働いてくれ」と、年功序列で退職まで給料が上がる終身雇用で報いる仕組みを作ったのです。数十年にわたる人件費というと莫大な金額になりますが、それでも十分に利益が出る、それが高度経済成長だったのです。
バブル経済がはじけ、失われた10年、いや20年、30年といわれる時代があり、右肩上がりの経済成長なんていうものを知らない世代が多数になり。私だって、高度経済成長は知りません。そして、企業は、終身雇用の負担を負えなくなった。
だからこそ、起業家精神、「変化の中に機会を発見し、事業を成功させる行動体系」が必要なのです。高度経済成長は、拡大こそすれ変化が少ない時代でした。しかし、いまは多様性の時代、変化の時代、予想不能の時代、VUCAの時代です。昨日まで絶好調だった企業が突然傾くし、聞いたこともないスタートアップが急成長する、それが当たり前の時代です。
だから、起業しなさい、ではありません。Entrepreneurshipは「会社をつくる精神」ではないのです。わたしの講義を受けた学生でも、就職(就社)する学生もたくさんいます。ただ、昔のように「会社に入ればOK」という考えではなく、「会社に入ってどうするか」という考えが必要です。会社に入社した後、Entrepreneurshipを発揮して、社内改革に挑む。会社の中を動かして、新たな事業を生み出す。これも立派なEntrepreneurshipの実践です。日本では「企業内起業」(イントラプレナーシップ)という言葉もあります。
企業だって変化していく
古くから、企業の寿命30年説というものがあります。リアルな統計では起業の平均寿命は20~25年だそうです。30年あれば時代が変わるのです。起業時に社会情勢にマッチしていた事業も、競合企業が増え、ニーズが変化し、その役割を終えるケースが少なくありません。
例えば、富士フイルム、コダックという会社があります。かつては、この二社で世界の写真フィルムの95%以上を生産していました。1980年代、世界でもっとも銀を消費していた企業は、富士フイルムです(銀は写真用のフィルムに欠かせない原材料です)。しかし、いま、写真用のフィルム市場は、全盛期の1/100、いやもっと縮小しています。いま富士フイルムは、化学製品、健康食品、化粧品など、経営の多角化で、売上の中で写真用フィルムが占める割合はほとんどなくなっています。同じ会社ではありますが、中身は違う会社だといっていいでしょう。このような大転換は多くの企業で起こっています。
日本を代表する企業、ソニーもそんな企業の一つです。戦後すぐに、井深大氏、盛田昭夫氏らによって創業された東京通信工業が、ソニーの始まりです。創業当初は、社名の通り、通信機器、いわゆるトランジスタラジオが主力商品でした。日本初のトラジスタラジオの発売は1955年のことです。そしてテープレコーダーへと事業は発展します。創業から30年の1975年には、ベータ方式のビデオデッキを発売しています。
ここで大転換が起こります。1979年、ウォークマンの発売です。音楽を聴く環境を大きく変えたこの発明で、ソニーは「ウォークマンの会社」に変貌を遂げます。正確には、今でいうところのカスタマー・エクスペリエンス、顧客体験を提供する企業に変わり始めたといっていいかもしれません。それを体現するかのように、コロンビア・ピクチャーズの買収、1990年代、プレイステーションでのゲーム業界参入、音楽事業をはじめとする、コンテンツ事業の拡大と、「電気機器メーカー」として創業したソニーは、会社の中身を大きく変貌させています。
企業の寿命30年説は、おそらく正しいのです。それでも、50年、なかには100年続く企業もたくさんあります。日経BP社の調査では、創業100年を超える企業は日本だけで3万社以上、200年を超える企業も1000社以上存在します。これは世界と比較して、突出した数です。歴史ある企業が多いとうことは誇るべきことである一方、「新陳代謝」が行われていないのではないか、革新ができていないのではないかという恐怖も湧いてきます。例に挙げたソニーは「中身が変革して」います。伝統にすがることなく、社内で新陳代謝が行われているのです。そして、それを成し遂げたのは「社内にいた起業家(イントラプレナー)」だということです。起業家とは、会社を興す人のことを指しません。「事業を起こす人」だから、起業家なのです。