見出し画像

失敗を怖がる日本人に伝えたい、失敗の客観視


大学での新しい講義は、「とりあえず、3回、回せる」


バブソン大学で教鞭をとるようになって15年以上になります。そのなかで「Dr. Failure」などという、誇るべき異名ももらっているのですが、実は、大学での講義には「お試し」があります。普通、ほとんどの大学では、先生が講義を生み出す場合に、会議に何度もかかって、学部の承認を得てという、多くの「承認プロセス」を経る必要があると思います。しかし、バブソン大学では違います。


「とりあえずやってみる」


まずは、どの先生でも、思いついた講義を「3回まで」は行うことができます。その後、大学側で学生の評価も含めて審査され、要件を満たせば、そのまま継続できます。


まずはやってみるか


というわけです。ここで重要なことは2点あります。


1.       とりあえず、スタートさせる

2.       ダメだったとしても、先生の評価に影響はない


まず「一歩踏み出す」ことは重要です。しかし、失敗を恐れていては、「はみ出す」ことはできません。「とりあえずチャレンジしてみて、ダメだったら一旦引き下がる」、これが可能だからこそ、尖った講義が生まれます。


これは、とても「起業家的」な発想だと思っています。全米一のアントレプレナーシップ教育というからには、大学側もこういう姿勢になるんでしょう。

こういった「失敗」を日常的に扱い、自らも失敗を重ねているからこそ、「失敗からこそ学べるものがある」「失敗しても大丈夫だよ」と本気で言えるのです。


アメリカの企業倒産件数は、年間約4万件



2023年のアメリカの企業倒産件数は3万3,569件(出典:Dun & Bradstreet Worldwide Network)。一方、日本では、9,053件となっています。データのとり方が違うので一概には言えないのですが、企業総数から見ると、「倒産率」は約0.3%と大差はありません。起業大国アメリカでも、保守大国日本でも、倒産は同じように起こるものなのです。でも、なかなか、日本では企業倒産、つまり失敗は語られません。


そもそも、失敗とは何でしょうか?


倒産したから?

想定したように事業が成長しなかったから?

事業が継続できなかったから?

思うような利益が出なかったから?

バイアウトできなかったから?


捉え方はさまざまです。

株式投資の世界では「損切」という言葉があります。これ以上待っていても、株価は下がるばかり。今売ると損をする、けれど持っているともっと損をする可能性が高い。その場合は「今の損は飲み込んで、傷をこれ以上大きくしないように、あえて損を被って」売却する。大ざっぱに言えば損切とはこういう考えですが、事業でも同じことが言えます。


「これ以上続けると、投資が増えるばかりで、回収の見込みは少ない」

「当初、目論んだ利益は期待できそうもない」

「想定以上に時間がかかりすぎる、それだけの時間を待つと利益が少なくなる」


こういった場合は「どこで見切りをつけるか」が重要です。


なので「どこで失敗とするか」という「線引き」をしなければなりません。ずるずるやっていてはダメなのです。どこで損切りをするか、あらかじめ想定しておく必要があります。


これが「失敗の定義」です。今から自分がやる事業で、「どの状況になったら損切りするのか」を決めておくのです。


そうなると、失敗ではあるのですが、「転換」と捉えることが可能になります。失敗しても、そこから学んで、次に活かすことができます。「もうダメだ」と自分が感じる主観的な失敗ではなく、「いつまでに(時期)、売上(あるいは利益、あるいは顧客数など)がこの数値になっていなかったら、損切」と決めていると、「失敗が客観的」なものになります。


そもそも、失敗とは、諦めるまでは失敗にならないという考えがあるように、本来は主観的なものです。それを、客観的なものにすることで、学びが生まれやすくなります。


ルールがあるから失敗する、ならば失敗はそもそも客観視できる


失敗を客観視しなければならないという話ですが、そもそも、主観的には失敗なんてないのかもしれません。例えば、小さな子供の頃は、何をしても楽しかったはずです。「箸が転がっても面白い」というように、ボール投げをしていても、取り損なっても楽しい=失敗はないのです。


ところが、「相手が取れるところに投げる」「相手が投げたボールをグローブで取る」などと、徐々にルールが出てきます。そうすると、失敗が発生します。ストライクゾーンがあるから、ボールは失敗になるのです。野球場のグラウンドが規定されているから、フェンス超えはホームラン、打者には大成功、投手には大失敗が生まれるのです。


ルールは客観的なものです。だから「失敗」も客観的なもののはず。客観的なものなら、分析できるはずです。


分析できるなら、失敗は次への糧になります。つまり恐れるものではないし、むしろ失敗を重ねる人のほうが「成長」する。上手に失敗する人ほど、精巧に近づくはずなのです。


結果の失敗を恐れない。ただし、プロセスの失敗は繰り返さない


誤解を恐れずに言えば、事業の成功、失敗は水物という一面もあります。自分たちではコントロールできない外的要因が影響することもありますし、これまでも、どう見ても理由がわからない失敗も見てきました。国が、場所が違えば。少し時期が違えば、あるいは本当になぜかわからないけれど失敗ということもあります。


だから、「結果の失敗」は気にすることはないのです。いえ、もちろん、投下した資本の回収とか、時間とか、いろいろとあるので、「気にするな」は無理なのですが、「結果の失敗」は気に病んでもしょうがないのです。


でも気にするべき、分析するべきは「プロセス、過程における失敗」です。売上は未達でもいいのです(よくないですが)。でも、その過程で、やるべきことをやっていなかった。やり方を間違えたなどは分析して、ちゃんと次に活かす必要があります。失敗の分析とはこういうことです。


失敗という結果を生み出した原因、失敗に至ったプロセスを明らかにする


そして、同じことを繰り返さない。失敗のプロセスが明らかになっていれば、対策は打てます。


GEMレポートで、唯一日本がトップの項目


バブソン大学が世界中のリサーチャーと協働してつくっている「GEMレポート(Global Entrepreneurship Monitor Report)」では、日本が本当に起業小国であることがよくわかります。


GEMレポートでは、TEA(Total Entrepreneur Activity=起業活動率)を算出しています。TEAは、人口100人あたりの起業家の数であり、日本は2.9で、下から2番目です。ほかsにもさまざまな調査項目がありますが、とにかく日本は最下位争いばかりしています。


そんななかで、唯一トップ争いをしている項目があります。それが「失敗に対する恐れ」です。とにかく失敗してはいけない、そんな日本人の気質がはっきりと出ています。


どうしてそうなったのか。失敗はルールが生み出すという話をしましたが、秩序を重んじ、ルールを大切にする日本人は、自然と失敗を恐れるのかもしれません。


でも、すでに述べたように、「失敗の基準」、つまりルールを自分で決めておけば、大丈夫なのです。想定の範囲内なのです。


そうなると、根源的な大失敗はなく、「次に活かせる失敗」しか、存在しなくなるはず、です。


失敗は怖くない、怖くないですよ。

いいなと思ったら応援しよう!