生きる基準に縛られて
僕が通ってる精神科は恐らくこの業界(と言っていいのか?)でも指折りの有名な国立病院です。紹介状がないと通うことが出来ず、新規予約はジャニーズのチケット並にマッハで無くなります。僕も新規予約だけで1か月超の待ちでした。
そういう精神科だからこそなんですが、色々な人が来ます。
小さな心療内科の病院ってコンビニかってぐらい沢山ありますけど、そこにいる患者さんって大体僕と同じぐらいの症状の人があつまる印象がありました。
しかし、今通っているここの精神科は症状が重たい人がやってくることが多く、その中で僕は色々な人を見てきました。
例えば、僕と同い年ぐらいの人が親に背負われるかのように歩いてやって来る人とか。
突然奇声を上げてどこかへ走り去ってしまうとか。
「死にたい」とずっとつぶやいている人が隣に座っていたり。
同じことを何回も何回も受付の人に言っては怒りだす人とか。
突然倒れたりする人もいましたが(多分てんかん?)、病院のスタッフも全然驚かずに対応している姿をみてて、ただただ僕は口を開けて眺めるだけでした。
衝撃的なシーンを何度となく見てきました。恐らく、彼らの多くは自分ひとりの力だけでは生きていけない、誰かの補助があってはじめて今の自分を維持しているのであろうと思いながら眺めてました。
彼らを見ていると、世の中の難しさを感じさせられます。
世にはテストの点数でも、所属する会社でも、お金の有無でも、なんでも人を判断する基準があるじゃないですか。ある基準があって、それをクリアしたら権利が生まれる、みたいな。
僕の場合でいえば、今派遣されている会社では技術とか諸々基準に満たさない残念な中年おっさんです。だからコミュ障含め、様々な扱いを甘んじて受けざるを得ない状況にいます(人としてどうなのってところは置いといて)。
一方で介助なしでは動くことさえままならない人たちは、生きるという基準さえもなかなか解決が困難な課題だと思うんです(あくまで僕からの視点です)。
生きる基準?生きていい基準?うーん、表現の仕方が難しいです。
生きていい基準なんて存在しない、生きてるだけで丸儲けという人もいらっしゃいます。
難しい問題です。いろんな意見があって、どれも否定はできない。
ただ、僕個人の話をさせていただくと、うつ病にかかって会社を何回か辞めた時、ベッドから出る事さえできなくなった時は自分は生きる権利さえないと本気で思いました。
傷病手当金だけもらっておいて、社会に貢献もできない、人とも接することもできない。むしろ世間から差し伸べられた手を拒絶までした(ここらへんは別の機会にでも話します)。
それでいて毎日寝ているだけの人間に対して「君は生きる権利がある」なんて他人から言われたって、僕は信じなかったでしょう。この経験がかつての僕の「生きていいかどうかの判断」となってしまっており、今もなお心のどこかに住み着いてます。
あくまで上記は個人的な考えです。他人に対して、僕が思う「生きていい基準」を押し付けるつもりは毛頭ありません【超重要】。
ただ、生き続けることに対してこんなにも苦労している方々が、想像するに世の様々な基準に達することが出来ずに苦労されているところを見ると、やるせないといいますか、悲しい気持ちになります。
もちろん、基準そのものを否定するつもりはありません。
タダのアホである僕が仮に入社基準が無くなったGo○gleにでも入社してしまった日には、近日中に検索エンジンがぶっ壊れる事でしょう(笑)
100点を取り続ける人が評価され、0点を取り続けてしまう人が「なんでだ!」と怒られてしまうのもやむを得ないのも分かります。
社会生活を送るうえで、人は必ず何かを判断するための基準に直面します。
上手く乗り越える人がいれば、妥協して早々に諦めるひともいる。そのなかで、心が病んで薬を飲んででも努力をしながら「認むべき基準」を乗り越えようとする。結果、報われた人もいれば、報われなかった人がいます。
そのなかで報われなかった人は一体どこへ向かうのでしょうか。きっと多くの人はどっかに収まるんだろうけど、最後の最後まで行ってしまった人はどうなっちゃうの?
基準を満たせず失敗し続けた僕でも、運良く立って今のところは生きている。何とか身体的、経済的にも自立している。薬を飲みながらだけど仕事だって出来ている、一応。
けれども、歩くことさえままならない、自活さえ困難な彼らはどこへ行くのか。生きる権利さえなくなるのか。
経済面でいうならば、様々な助成金があることは知っています。非常に安く、生活苦を余儀なくされるレベルであることもまた知っています。世のセーフティーネットとして機能しているかどうかは別の議論になるとは思います。
僕はそれよりも、生きていいという基準を超えることが困難な方々が、どうやって世の中を構成する一員として認められるんだろうと考えさせられます。だって、基準を超えられなければ権利が発生しないんですから(ここでまた「生きられる基準なんて存在しない」っていう話になると堂々巡りになりそう…一旦置いといてください)
それこそ、「生きることは許されないけどしゃーなしで生きさせてあげてる人間たち」みたいなレッテルを貼られて、隅っこで過ごすしかないのでしょうか。それは本当に苦しい。でもそれが現実だと思う。
だからきっと皆はうつ病の過去を隠して生きてるんだろうなと感じざるを得ません(まあ転職等に響くってのもありますしね)
精神的な病気が、先天的であれ後天的であれ、別に自分がなりたいと思ってこの病気を選んだわけじゃないです。苦しみながら、出来れば普通でありたかったと今の自分が思う事は、きっと他の精神病を患っている人にも分かってくれることだと感じてます。
それでも僕らはこの病気のおかげで世の中の多くの基準から外れてしまい、どんどん隅に追いやられていきます。
被害者面すんなよ、自分の努力不足の結果だろと思われたら、ごめんなさい。それも一理あるかもしれない。
でも人にはそれぞれキャパがあり、考え方の違いがあり、精神的・身体的な差もある。人から見れば大したことでもないことが、僕では超えられないことだって全然あります。
この問題の回答が出せる人は果たしてこの社会にいるんだろうかって思ったりします。本当、難しい問題だなと感じてます。
日々の生活だけで精一杯の人もいれば、僕のようになんとか仕事をして生きている人もいるから、ひと括りに考えるのは若干強引な考え方だったかもしれません。
久々に真面目なことを考えてnote書いてもだめっすね、僕の地の頭の悪さが出てしまうな(笑)