【第三世代フェミニストの弾薬庫】雌ライオンどもの野蛮な狩り?
題名は知る人ぞ知るソ連時代のカルトゴシック映画「スダフ王の野蛮な狩り(1979年)」より。
さて以下の投稿では「内臓全体の集団対応としてのホルモン分泌の連鎖メカニズム」に注目しました。
実は体温を一定以上に保つ恒温動物は、すべからずそれなりに高度に発達した脳幹を備えており、これが全体の司令塔として機能してる事は間違いない様です。なお逆は成り立たず、例えば昆虫もそれなりに高度に発達した脳幹を備えているものの、体温を一定に保つ事は出来ません。
かかる意味合いにおいて全身の司令塔となる脳について、最近「それを構成する蛋白質の種類は睾丸のそれに近い」という話が出てきました。
ネットにおける反応の大半は「やっぱり男はチンチンで考えていたのだ」といったものでしたが、それをいうなら女性も「チンチンで考えてる」事になります。そこで思い出したのが、はてな匿名ダイアリーに投稿された「心のちんこ問題(2015年09月27日)」。
私自身は「女性の性欲は身体意識と内臓意識が深層学習的過程を経て結び付けられたもので、その具体的内容は多岐に渡る」なる立場をとっているので、この証言についても「そういう学習結果もある」以上の事は言えません。さらには「(ある程度以上に成熟した)雄の脳を雌の脳を交換しても雌の身体のホルモン制御がまともに出来ない」という実験成果もあって、迂闊な判断が下せないのです。
ただ、これまでの客観的観察結果から、これぐらいの一般的傾向は指摘出来そうです。「多くの女性は、自分の色香に惑う男性を、ただそれだけの理由で選ぶ事はない」。
まぁ前近代まで女性は出産の為に死ぬ確率が決っして低くなかったのです。
それでも誰かの子供を産もうとする訳ですから、相手の選び方にも、逃げられない様に捕まえるやり方もそれなりの技巧が凝らされる事になる訳です。その最新の具体例として最近人気のラブストーリーに目を向けてみます。
「山田くんとLv.999の恋をする」の場合
まずはファン層からまで「兵学校の答案だったら0点」と評され、海外ファンから「Sweet Goblin」の渾名まで賜ったましろ「山田くんとLv.999の恋をする(2019年~)」のヒロイン茜さん。その茜さんの山田君の落とし方とは?
「初対面の彼の家に泥酔状態で上がり込み、寝ゲロを吐き散らかしました」
それこそ単なるストックホルム症候群では?
なお、逆サイドからの真相究明編…
冗談抜きで本物のストックホルム症候群でした…どうやら、これまで女性との接点がなかった生真面目な男子高校生が、いきなり「荒ぶる未知の生物仕草」を無制限に叩きつけられ、すっかり目が離せなくなってしまったのが契機となる模様。やはりそれって、ストックホルム症候群なのでは?
「僕の心のヤバいやつ」の場合
次いで桜井のりお「僕の心のヤバいやつ(2018年~)」のヒロイン杏奈さんに目を向けてみます。この作品、海外では「山田くんとLv.999の恋をする」とファン層が綺麗に別れてるのが特徴で、それは「(毎晩、夢精が怖くて寝る前にマスをかいてる様な)男子中高生の実態」との向き合い方の違いでもあったかもしれません。そんな「汚い方の男子」を平然と選んだ杏奈さんの市川君の落とし方といえば…
「保健室で、生理痛で弱ってるところ見せつけました。ついでに「頭痛にも効く薬」を分けてあげました」
「頭痛にも効く薬」の正体が、重い生理痛にも効くロキソニン辺りだとしたら、2錠は1日分の処方。既に1錠飲んでいて、それでも保健室で休まないといけない様な絶不調状態な訳で、冷静な判断が下せる状況下だったら2錠目は絶対に手放そうとはしない筈。常に顔を背け続けてるし、杏奈さん側も杏奈さん側なりの心境で一杯一杯の状況だったと推察されます。そうした裏事情に何も気づかない市川君の「ただの男子中学生ぶり」が微笑ましい?
そして映画ファンなら誰もがピンときたでしょうが、おそらくこの場面全体がデビッド・リンチ監督作品「ツイン・ピークス(Twin Peaks,1990年~1991年)」に登場する「世界で一番美しい死体」ローラ・パーマーへのオマージュ。そりゃマーダー・ケースブックとか好んで読んでる市川君なんてイチコロな訳ですよ…
「ゆびさきと恋々」の場合
最後に紹介するのは森下suu「ゆびさきと恋々(2019年~)」のヒロイン雪さん。聴覚障害者である彼女の逸臣さんの落とし方といえば…
「世界中旅しても自分の居場所が見つけられない彼の耳元に囁いたんです。「ここに貴方がまだ訪ねてない世界がある。それは音のない静謐な世界…」」
雪さんの「狩の作法」の恐ろしさは、なんといってもその機動における無駄のなさ。心の探り合いに失敗したり、すれ違いを引き起こしたりする事なく淡々と一直線に関係を深め、外観も「可愛い」から「綺麗」に変貌していきます。思い出したのがC.L.ムーア「シャンブロウ(Shambleau,1933年)」において「太陽系一の荒くれ男」ノースウェスト・スミスが為す術もなく籠絡されていく場面。こちらの作品も最初はうまく会話が成立しない状態からの出発しますが、気付いたら意識を完全に乗っ取られていて「やっと私の言葉でお話しできますわ、愛しい方!!」なる囁きが流暢な言葉で届くという展開…
それでは男子達の選ばれた基準は?
これらの作品で選ばれた男子については、とりあえず何か共通する特徴が抽出可能というより、女子側が「この人の中になら、自分の居場所を見つけられそう」なる予感を抱いて裏切られなかった要素が大きいのが特徴。これを最初の手掛かりとして、以降の投稿で分析を発展させていきたいと考えています。
なお「海外で人気」という事は、当然アメリカでも大人気。その結果、マッチョ信仰に凝り固まったアメリカ人男性アカウントから特に集中攻撃を浴びせられたのが「ゆびさきと恋恋」の逸臣さんだったりします。
とはいえ「こんなのポカホンタスのジョン・スミスじゃん。最後は裏切るタイプだぜぇ」なる指摘には、ついうんうんと頷いてしまう一幕も。
「ポカホンタス(Pocahontas,1995年)」「ポカホンタス2(Pocahontas2,1998年)」のジョン・スミス…史実に合わせる為とはいえ、ディズニー・ミュージカルアニメ史上空前絶後の「続編でロクデナシと判明し、ヒロインに捨てられるプリンス」となった。
ところで、こうした女性からのアプローチを「牝ライオンの狩猟」に例えるの、2010年代Tumbrに割拠していた第三世代フェミニストの伝統だったりして。それでは、そこで伝授されていた分布意味論的語彙共有に立脚する「狩の流儀」とは? その話についても以下続報…