サイコーの「時間よ止まれ」You!
このnote最初の記事になります。1回目は矢沢永吉サイコーの1曲、「時間よ止まれ」の魅力を、分かち合わせてください。音楽の専門家ではないので、エーちゃんが歌う曲から受けた印象で書いていきます。楽曲にはいろいろな魅力が詰まっていますが、このnoteでは歌詞の中で気になったキーワードを出していきます。それぞれについて考えた上で、最後にこの曲全体の魅力に迫っていきたいと思っています。
「時間よ止まれ」の歌詞(山川啓介 作)で気になる言葉をボクなりに三つあげると、「罪なやつさ」、「幻でかまわない」、そして「時間よ止まれ」になります。
まず一つ目の「罪なやつさ」についてです。大体において罪な奴というのがいいです。普通の人は、罪な奴と人生で遭遇することがほとんどないと思うからです。罪な奴とは、相手をそそのかす奴、というような意味でしょう。広告にそそのかされて必要でないものを買った経験はよくありますが、異性にそそのかされることなんて中々ありません。もちろんお金を目的とする異性なら、計算として相手をそそのかそうとはするのでしょう。
でもエーちゃんの声は、その罪な奴が計算している女性であることを表してはいません。むしろ男である自分の方が、「この恋に進むと傷つくのではないか」と思い巡らせていたけど、「もうそんな計算を捨ててこの女性に賭けよう」と言っています。
二つ目は「幻でかまわない」です。
この曲は恋の始まりを歌っています。それでいて、幻でかまわないという心情は、始まる前から終わりが見えている恋であることを示しています。この曲は、これから二人が関係を築いていく恋が盛り上がっていく時を描いています。恋の始まりは冷静ではなく、これは現実なんだろうか? と感じることがあるのは想像できます。
二人の関係も相手に対する自分の想像も幻であることを指しているのかもしれません。そしてそれは、夏が去れば訪れる失恋の予感も描いているのです。
最後は「時間よ止まれ」です。
このフレーズは、この曲の決め台詞です。西風よ、海よ、夏の日よ、みんなストップしてくれ、と言っています。幻は消えるから幻であって、消えなければ幻ではありません。しかし恋というものは行為を伴うものです。写真のように動かないものになってしまえば、それはもう恋ではありません。望み通り時間が止まっても恋ではない、時間が止まらなければ幻として消えてしまう。ある意味切ない望みを歌っています
ここまで、三つの気になったキーワードを見てきました。心に残るラブソングは圧倒的に失恋ソングが多いと言われますが、この曲も一種の失恋ソングと呼べそうです。恋を失った歌、というより、失う恋についての歌、という意味です。
また、「時間よ止まれ」とは、この曲の内容とは無関係に一人歩きできる言葉でもあります。誰しも時間が止まって欲しいと思うことがあるからです。そんな気分の時に聴きたくなります。歌の内容とは関係なく、なんとなくイメージを持たすことができるという意味でも、サイコーの1曲です!
記事タイトルは、「サイコーのRock You!」の「Rock」の部分を曲名にしてつけました。これから1週間に1本くらいのペースで書いていき、2023年中に51本書くのを目標とします。よろしくお願いします。