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自分史メモ(2019年1月3日更新)

この日の青森は雪。8時頃で-1℃。
2018年7月と、2018年12月中旬の記載内容を修正・加筆。
今日書いたnoteはこちら

2018年12月15日(土)・16日(日) 東京

15日、西條剛央さんなどのお話を伺う機会に恵まれ、幸せに生きるための働き方について学び、考え続ける。

さらに16日朝、(距離的問題から少し悩んだものの、)来年あたまに西條さんの元で学べるチャンスにエントリー。月末には手続き完了。

2018年12月12日(水)東京

青野慶久さんと西條剛央さんのお話を伺う機会に恵まれる。

これを機に自分がたのしんでいない理由をさまざまに考え続け、「チームワークあふれる場所にいたいのにいられていない」「チームワークって個人プレーの足し算でできるものではないのだなぁ」という気づきを得るに至る(2018年12月15日所感)。

2018年11月28日(水)東京

大久保寛司さんのお話を伺う機会に恵まれる。「自分の話を聞いてもらうには、話を聞きたいと思われる人になればいい。」「話を聞きたいと思われる人になるには、相手を理解すればいい。」とった学びなどを得る。

2018年11月10日前後 青森

梶原真司さんの『考えるとはどういうことか』の好きな言葉を手帳にメモする。

人には「問う、考える、伝える、聞く」ができる肯定的な場所が必要という学びを得る。

2018年10月31日(水)東京

新井和宏さんのお話を伺う機会に恵まれ、ここで「eumo」を知る。

そして、「企業はあらゆるステークホルダーを幸せするために存在する」「本来手段に過ぎないものであるはずの「数字」に、そのわかりやすさゆえにとらわれるのはナンセンス」「持続的幸せを得るには、素晴らしい人のもとで学び続けるのが一番」といった学びを得る。

2018年7月 青森

西條剛央さんのオンラインスクール「EMS」に加わる。

2泊4日ではあったが、初めてパリを訪れる。

2017年4月1日(土)青森

メンタルの安定を第一の目的に、筋トレを始める。同時に、糖質制限など食事のPFCについての勉強と実践を開始。結果、半年で15kgほど減量。以降その減量後体重±0〜▲5kgあたりをキープ。

「人は変わろうと思い、正しい知識とサポートが得られれば、何歳からでも変われるのだ」という気づきが得られたきっかけに。

「心が辛い日も、夕方1時間ほど筋トレをしてお風呂に入ることで、ぱたっと眠れる」という技の獲得にも成功。

2011年3月11日(金)青森

東日本大震災。

翌日から、震災復旧・復興事業の予算を調整する内部業務に忙しい日々を送り続けたが、「組織の内部にこもってひたすら段取りにばかり励む」ことが誰の役に立っているのか全くわからず、辛い1年を過ごす。

「組織の目標達成に向け、いかに自分の生産性を高めるか」の一点だけを考えながら、朝から朝まで働くというこれまでの価値観への疑問がはっきりと表に出てきたのもこの頃から。以降、様々に試行錯誤と葛藤を重ねる。

この年に、ほぼ日を通じて西條剛央さんの構造構成主義の考えを知る。同じくほぼ日を通じて「編みもの」を知る。

あと、この年に自分の救いになったのが、北方謙三版『水滸伝』。「どんな人もそこにいていいのだ、果たせる役割はあるのだ」という希望に支えられる。

1998年 青森

青森で就職。たまたま地元の大学で地元自治体の取組を研究したことで「やりようによっては、地方自治体はいろいろなことができるのだな、しかも利益を上げることを目標にしなくて済むじゃないか」と思ったことが就職のきっかけ(「安定志向なんだね」と言われたことに強烈な違和感を覚えた記憶がある)。

この年から20年にわたり、毎日「ほぼ日」をたのしむ。今の私のあらゆる関心の源泉やいろいろなきっかけは「ほぼ日」に連なっている。

1999年に「男女共同参画社会基本法」が成立しているが、このタイミングがちょうど入社のタイミングと重なったことで、「これまで男性にしかやらせたことのない仕事を女性にもやらせてみて、一から叩き上げてみよう」という社内の流れの、いわば一期生的な立場に置かれることに。

1976年2月3日(火曜日だったみたい)

秋田県の病院で生まれ、札幌へ。

札幌で小学校入学前まで過ごしたのち、青森市、弘前市で育ち、そのまま青森で就職。今に至る。

田舎で過ごしたためか、1991年に起きたバブル崩壊の影響で生活が変わったというような実感もなく、同じく1990年代から始まったインターネット革命が社会をどう変えるのかもわからないまま、1998年に就職。

#自己紹介