「書ける」ことへのあこがれ。(2021年6月15日(火)②)
「古賀さんの学校」からは落選の連絡があったのですが、提出した課題作文を隅から隅まで熟読されていないと絶対に書けない具体的なコメントを、私の弱点を的確に表しながらも私の心証を一切損ねることのない表現によって、古賀さん自ら寄せて下さった(しかもよく間違われる私の名字を正確に記載して下さった)ことに、本当にびっくりしたのでした。
なんてありがたいことだろう。
私は落選者なわけで、そんな私にいちいちコメントを寄せて下さる必要など、本来的には全くないのです。「落選しました」という事務連絡だけで十分。相当な数のエントリーがあったと思われるのに、こうして落選者にまで丁寧にコメントを寄せて下さるなんて。
おかげで私は自分のポテンシャルをはっきりと知ることができました。
思えば前々からいろいろな方に指摘されてきたのに、どうしたらいいのかがわからなかった、「自分について語らない」表現の具体的是正方法。
古賀さんのコメントを読みながら、また過去に指摘をいただいた方々のコメントを思い起こしながら考えて、「私の思考は『世の中の俯瞰』へと浮き上がってしまうくせがあるから、もっともっと意識的に、『自分自身の変化』を書き拾っていく訓練を積もう」「私の思考はあちらこちらへと飛んでいって、箇条書き的な表現になってしまうから、もっともっと文脈を丁寧に拾い描写する訓練を積もう」という、二つのことを思ったのでした。
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