「正しい」が、人の数だけある中で。/2018年2月25日【第35週目】
私は、「メガネを外したほうが見た目がよくなる(※当社比)」と、様々な機会に、様々な方から言われ続けてきたにもかかわらず、これまで、頑なにメガネをかけ続けてきました(プライベートでは裸眼を押し通してきました)。
それは、「目にモノを入れることへの、根拠のない不安」があったからであり、もっと言うなら、「わざわざ変わらなくても…」と、「変化」に及び腰になっていたからに他なりません。
そんな中、先日ふと、「「自分の心身を健やかに美しくする」ことを最優先に生きるなら、メガネを外して、自分の見た目を少しでもよくすべきなのではないか」と思い立ったのです。
「心に浮かんだ好奇心」が捉えているものに、①依存性がなさそうなら、そして、②自分の心と身体を健康に美しくするものであるなら、そこに自分の時間やお金を使っていいんじゃないか。
そう自分に言い聞かせて、先日、コンタクトレンズの販売店に行き、コンタクトレンズを買ってきたのですが…。
自分の中ではあまりにもあっけなく「コンタクトデビュー」をしてしまった感じで、とりわけ、デビュー初日には、「あの根拠のない不安はなんだったんだ…」と愕然としました。
「自分を変える」というのは、こういうちょっとした勇気と行動の積み重ねなんですね…。
と、ここまでは、既にコンタクトレンズを使用している方にしてみたら、「今さら何を言っているんだ?」という話です。
同じようなことは、例えば、私が1年ほど前から勉強し、実践し続けている「低糖質な食事」にも当てはまるかもしれません。
「はちみつをかけたドライフルーツ入りのグラノーラは、とってもヘルシー」というようなことをおしゃべりされている方を見かけると、(いやいや、糖質モンスターじゃないですか…と、)驚きのあまり言葉を失ったりしてしまうのと、同じような…。
さらに言うと、ちょっと前までの私は、仕事においても、「この成果品だと、まだクオリティが低いけれど、ここをこうしたらどうだろう」というようなことを言ってしまったりしていたのですが、
「正しさ」というのは、人の数だけあって、聞かれもしないのに、他の方の行動に口出しをする(=自分の体験や哲学、思い込みを押し付ける)のは、やっぱり違うのだよなぁと、最近、つくづく思うのです。
今の私にできるのは、自分というなんでもない人間の、なんでもないエピソードを、できるだけ「暖かさ」や「柔らかさ」をまとわせた形で、「いつか誰かに、ちょっぴりたのしんでもらえたら幸せだなぁ」と思いながら、
オープンスペースに「ぽん」と置いておくことだけなのだよなぁと思っています。