「ダイの大冒険」に再会す。 その2:光を握りつぶした闇、闇さえも導いた光 ーアバンとハドラー
再アニメ化により「ダイの大冒険」に再会し感動したイイトシの元オタクが、色々語ってしまった記事でございます。
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【ネタバレあります】
あらすじでフレイザード編まで、ざっくりとは鬼岩城上陸後、基本的にはアニメの進行度以上はいかないようにしています。(2021年9月現在)
かつて世界を征服せんと人間に戦いを仕掛けた魔王ハドラーと、それを倒した勇者アバン。
主人公のダイと出会った時は、アバンは勇者の家庭教師という肩書きで勇者だったことは隠していました。一方のハドラーは大魔王バーンにより復活し、大魔王の配下・魔軍司令としてダイの前に突然現れます。
アバンの元で勇者の修行中だったダイとポップの前で、この因縁の2人が再会し大激突。ここで唐突にアバンは死んでしまい、逆上したダイがハドラーを追い払うことでその因縁がダイに移る形となりました。
何も知らないダイとポップにしてみれば、過去の因縁をいきなりあかされて「師の仇を討ち大魔王を倒す」という本編に荒っぽく放り込まれる格好になったわけで、連載当時の私もこの成り行きにポカンとしたのを覚えています。
魔王ハドラーを倒した勇者であるアバン。
アバンはダイを勇者にするために、勇者の家庭教師という肩書きでポップを引き連れてダイの前に現れたのですが、行動や言動が軽いというか胡散臭いというか、本当に大丈夫なのかというキャラで、当時も「変わったキャラが出てきたなあ」と思ってました。
読み返した今でもよくわからないキャラです。生まれはいいみたいなんですが、剣も魔法も独学っぽい。あらゆることに精通しそれを教える能力も高い。大魔王バーンですら、何をしですかわからないからと真っ先に抹殺指令を出したみたいですし。物語の中でも、死してもなお登場人物たちの心を突き動かす原動力になっていました。
謎多きアバン先生ではありますが、現在、スピンオフとしてアバン対ハドラーの時代を描いた「アバンと獄炎の魔王」がVジャンプにて連載中なので、その辺りがわかってくるかもしれません。
なんだかかんだいっても、ハドラーを倒した能力もさることながら、育成の方もかなり有能で。
勇者をアスリートとしたら、強化スタッフであるコーチ・トレーナー・栄養士を彼一人でやっているという感じです。マネジメントや育成能力がとんでなく高い上にカリスマもあるって、まさにどんだけヨという話になります。
でも、彼の天才的な能力が活かされるのは勇者が必要な「有事」の時なわけで、平和ならその必要性は低い。その上、彼自身の能力の高さを考えると、自分の意志とは関係なく、周囲に軋轢や何かの火種を生むかもしれない。
どこの国家にも属さず、行動や言動は陽気でフリーダム。そのおどけた行動の裏にある哀しみみたいなものも、なんとなくわからないわけでもないです。
外見から性格から、絵に描いたような悪役であるハドラー。
世界征服を目論んでアバンに成敗されるも、自分よりはるかに強大な力の持ち主である大魔王バーンの手によって復活したわけですが、出た時から小物感があって、「コイツはこれからひどいめにあうんだろうな…。」などと個人的に思ってました。
実際に物語が進むと、ハドラーの部下たちは裏切るわ敗戦するわ離反するわで、大失態の連続となり、大魔王バーンのお怒りをかう羽目になります。
バーンの最終勧告後もダイを討ちもらし、後がなくなったハドラーは、ついに不死の身体を捨て超魔生物へ肉体改造するという選択をします。意地も残りの人生も生命さえもかなぐり捨てたハドラーの吹っ切れ度と開き直り度は半端なく、どえらい魔物としてダイの前に現れます。
登場時の小物感はどこへやら、魔軍司令の時よりも威風堂々としていてまさに別人。ダイたちも大苦戦することになるのです。
大人になってみると、この後の吹っ切れたハドラーがかなり魅力的でカッコいい。連載当時はなんとも思ってなかったぽいのですが。ダイたちばっかりに目がいって他はあまり気にしてなかったようです。
よくハドラーは哀しい中間管理職と例えられているようで。サラリーマン的にいうと、営業部のエースが部長になり、ついには支社長になったものの、支社内の部署の連携や社員のマネジメントに失敗して業績悪化となり一社員に降格。が、そっちの方が性に合っててその後に大活躍みたいな。
なんていいましょうか、向き不向きがあるんでしょうね…。能力は高いんでしょうが、大企業の管理職には向いて無かったんですよ。ハドラーは。現実にもいますね、こういう人…。
アバンとハドラー、2人の関係性は正義と悪という分かりやすいものではあるのですが、それよりも立場の考え方・捉え方の違いが2人の運命を分けたような気がします。
今の自分のことよりも、後世のことを考え弟子の育成に力を注いだアバンと、自分の保身ばかりを考え、部下を駒としか思わず、脅かすとなれば貶めるために謀略さえ行うハドラー。
アバンの弟子たちは死後もその思いを引き継ぎ能動的に未来を切り開いていきますが、ハドラーの部下たちは失敗を恐れ受動的に動くだけか、反発したり離反したりと停滞するような動きしかなくなってしまった。
結果的には死んだ者の教えが、生きている者の支配を打ち負かしていくことになったわけです。
現実もどちらといえば、ハドラー寄りの社会なんじゃないんでしょうか。
そんなことを考えると、なんだか閉塞感が出てきますが、アバンが回想シーンで言った「ジタバタしましょう!」とか、終盤に「地に堕ちてからが本物の人生」と鮮烈に生まれ変わったハドラーの生き様を思うと。
もう少し、何かできるかもしれないなあ、などと。
思ってしまうのでした。
その3に続きます。