私のこと①【子どもが苦手な私が、未婚の母になったわけ】
はじめまして、弥生です。
現在妊娠8ヶ月。
授乳以外の育児が全て出来る旦那様と、4歳2歳の娘をモンテッソーリ教育の幼稚園に通わせなかがら、第三子を妊娠中。
今1番、熱く語れる過去はなんだろう。。
と深掘りをした結果【妊娠出産〜婚活〜入籍まで】をまず書いてみる事にしました。
長くなるかもしれませんが、興味ある方は読んでいただけると嬉しいです。
元彼(長女の遺伝子上の父)について
結婚を前提に、付き合ってる人がいました。
私が27歳の時、長く付き合っていた人と別れて、念願の一人暮らしを始めました。
暮らして半年が経った頃に出会った、色黒でよく喋り、よく笑う、背の高い人に猛烈にアプローチされて、付き合いはじめました。
付き合う時にも言われたし、会うたびに「結婚しようね」と言われていた。
子どもが苦手な私は、ずっと結婚する気がなく「独り身で生きていく」のだと思っていたので、自分の心境の変化に、正直おどろいていました。
「この人といられたら、人生が楽しくなりそう
1番近くで、その成功していく姿を見ていたい」
そんな風に思うようになり、結婚を望む自分がいました。
相手のご親族にもよく会っていて、お家に泊まらせてもらった事もあるし、我が家にも、何度も来てもらっていた。
信頼していたし、とても好きで安心感のある関係でした。
付き合って半年が過ぎた頃、彼が仕事で香港に赴任する事になりました。
よく会っていたので、正直不安でした。
でも「香港なんて日本みたいなもん。香港県だと思っていつでも来ればいい。月に一回は日本に仕事で帰ってくる」と言われ、
彼の会社の方にも「ごめんね」と言われた時には
「海外に家ができるなんて、楽しみです^ ^」と答えていた。
実際、日本に月に1度戻ってくる時は、数泊は私の家に泊まり、私も香港に1-2週間暮らすかのように遊びに行くようになりました。
一緒に買い物に行き、手料理を作り、お酒を飲んで、朝は見送って、、
新婚生活の先取りのようで、とても楽しかった。
その分、空港で彼と分かれる時は、
身が引きちぎられてしまいそうな程苦しくて、
寂しい。
帰りの飛行機の中で毎回泣き、彼が日本に来ていた時は、分かれる駅でギリギリまで一緒に過ごし、独りになった部屋に泣きながら帰る。
彼のいた部屋で、独りで次の日を迎える寂しさ。。
人生で、こんなに人を好きになれると思っていなかった。
そんな人に出会えるなんて、思っていなかった。
運命論なんて信じられない、現実的で理性的に生きてきた私が『これが運命なんだ』と思えるほどの相手。
発想が自由で、英語が喋れて、自分でビジネスしてきて、行動力があって、自分も周りも大好きで、家族を大事にしていて、レディーファーストが身に付いていて、ユーモアがあって、、
いつもとても新鮮で、会うと楽しくて、会うたびに好きになっていく。そんな人でした。
きっとこんな『運命を感じるような人との出会い』を経験をする事もなく、人生を歩んでいく人もいる。
そんな中で、こんなにも思える人に出逢えて、付き合えるなんて、奇跡としか思えない。
あの時の私は、とても『幸せ』でした。
妊娠発覚〜産むと決めるまで
そんな生活をして約1年。
妊娠していることが判りました。
彼にすぐ報告し、これからのことを相談しました。
「産んで欲しい。結婚しよう」と言われると思っていた。。
でも、そうはならなかった。
「もうすぐ日本に帰るから、ちょっと待って欲しい」と言われ、出産について決まらないまま、過ぎていく日々。
成長していくお腹の胎児。
私はつわりで体調が悪い中、毎日仕事に行き、
産むかどうかわからない子どもを守りながら、
吐き気と気持ち悪さを抱え、泣きながら働いていた。
毎日、連絡をとっていた。
メッセンジャーやLINE、電話をして。
「喜んでくれると思ってた。「産んで!」って言ってくれるなら、産みたい。と思った。
でも正直、怖い。
育てていく自信がない。「人生は良いものなんだよ。生きてる事って素敵な事なんだよ」って、子どもに言える気がしない。大切な事を教えられる気がしない。。不安。
覚悟が決まらないなら、堕ろしてもいい。」
彼に「正直決められない」と言われた。
「私は一人で産んで育てる気はない。一緒に育てて行く気がないなら、産めない。堕して私とは別れよう」と言うと、
「仕事辞められる?香港で暮らそっか⁇」と言われたり
「やっぱりムリだ、、」と言われたり。。
そう言っている間にも、お腹の子は大きくなる。
中絶するにもリミットがある。
予約できる病院も、なくなっていく。
私の体へのリスクや負担は、遅れれば遅れるほど増える。
毎日が怖い。苦しい。不安。
私が「もう待てない、病院の予約した。堕ろしに行く」と言えば
「このまま無かったことにして、何が変わるの?」と引き戻される
刻一刻と、中絶できる日数が減って行く。
毎日「生きたい」「ここに居るよ」とお腹の子が訴えかけるように、つわりで気持ちが悪くなる。。
長電話をした。
これで終わりにしようと思っていた。
「産んで結婚しよう。だからご両親に挨拶に行く」と言われ、両親の予定訊いて、兄弟にも「妊娠して結婚する」ってLINEして、
彼自身も「自分の親にも話した」と、そこまで話が進んで、、
当日、うちに挨拶に来た。
「妊娠したから結婚させて下さい」と話し、両親は驚きながらも了承。その足で彼の実家へ。
本気で覚悟が決まったんだ。
嬉しい。ずっと不安だった。やっと決まった。
結婚して、産めるんだ。
そう思っていた。
彼の実家で待っていたのは、お母さんとお姉さん。
彼のお姉さんが「今の旦那と結婚前に、二人の間に出来た子を中絶している。その後結婚してる。次の妊娠で結婚して、子どもも2人いて、今うまく行ってる。あの時、産むことを諦めたから、今がある。」
「だから2人も、今はまだ時期じゃないと思う。
自分の弟だけど、こんなヤツが今の状態で父親になっても、弥生ちゃんが苦労するよ。
2人が真剣に付き合ってるの知ってるし、幸せになって欲しいから、今回産むのは辞めた方がいい」と語ってくれた。
彼も「今はやっぱりムリだ。
別れたくないけど、子どものために結婚しても、いい未来が見えない。堕ろして欲しい」と言った。
産む・産まない
別れる・別れない
結婚する・しない
散々振り回されて、悩んで、迷って、毎日泣いて、それでもお腹の中で『この子』は元気で、
やっと最近、つわりが収まってきて。
もう堕ろせない。
何のために、ここまで頑張ってきたんだろう?
ここで堕ろして、私に何が残る⁇
仕事を辞めてもいい
数年旅行に行かれなくてもいい
趣味の着物も一旦着られなくなってもいい
ここで、この子を堕ろしてまで続けたいものは
今の私にはひとつもない。
こんなに大好きだと思える人の子どもを授かった
その事はものすごい奇跡で、とても素敵な事。
その想いだけで充分幸せ。
愛して育てていけると。
実家で両親に妊娠と結婚の話をしている時に、
私の中で覚悟が決まってしまっていた。
「それでも、、私は産みたいんです」
とお姉さんの前で泣きながら言うと
「産むなら弟(彼)とはもう会わないで欲しい。何処かで息子達に『いとこ』がいると思うと、一緒に預かって遊ばせたりしたいなって思ってしまうから、別れてほしい」と。
1日で人生が変わってしまった。
私はもう決めていた。
・子どもは1人でも産む
・互いが好きな限り、彼とも付き合い続ける
もう誰にも振り回されない。
私は私の選択で生きていく。
彼が何を決めても関係ない。
だってこれは私の人生。
誰も代わってくれないし、誰も責任を取ってくれない。
産むって決めたから 大丈夫。
優先順位が決まってるから、もう振り回されない。
出来るだけ周囲に合わせるけど、
多少ワガママでも 身勝手で可愛くなくても
私は私の身体と、この子を大事にする。
そして、この子が産まれたら
毎日毎日 抱きしめて
「愛してる」って
「あなたを産んだ良かった」って
「この世で 一番好きになった人の子なのよ」って言って、笑って育てるの。
今のこの気持ちだけで、
愛して 育てていけるって思えるから
不思議だけど 今はそんなに怖くないよ。
なるようになる。
なるようにしかならない。
私は 私が出来ることしかできないし、
一生懸命やっても どうしようもない事もある。
それでもきっと 何とかはなる。
こんなに望んで 産むんだもん
幸せになれるに決まってる。
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私のこと②【切迫気味+未婚の妊婦が医者の反対を押し切り2度の海外旅行】
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