自分のざっくりな棚卸
若い時、思い起こせば小学生の頃から表現意欲はありました。
生来の資質に加え、荒れた家庭環境のせいか、言葉はうまく発することができず成長しました。身体能力も人並み以下でしたので、自分の表現手段は絵と文章でした。
小学生の頃からちまちまと絵を描き、マンガらしきものを描きはじめていました。新聞や雑誌にイラストを送ると、必ず掲載され、ラジオに投稿すれば読まれたり番組に出されたりしていたので自分にはなにかこういう才能があると勘違いしました。
中学生のときに担任の先生に「高校には行かずマンガ家になりたい」と言ったところ大変なことになりました。
アル中だった父親がその頃自〇したこともあり、母親がパニくりました。母親が教師に訴えたのだと思いますが、全力で私に高校進学を進めてきました。自宅にも教師がきたのでドン引きした記憶があります。
母子家庭になってしまいましたし、私は母親に精神的に支配されていたので
唯々諾々と高校進学しました。
そこは進学校でしたので、大学受験が必要でした。私としては、あまり学業への興味はなかったのですが、毒母が「法学部!法学部!」と騒いでいたので、あえなく法学部を受験しました。
その後、法学部に入りました。ですが、完全に文系脳の自分には法学部は酷な地獄のような場所でした。法律というのは、数学的センスが必要です。全く理解できず楽しさも感じることができませんでした。
法学部にいたころに面倒くさい人たちにからまれていたこともあり、私は中退しました。そこですぐ社会に出たかったのですが、母親がそれを許さず、再度大学受験しました。
そこでも母親から〇〇へ行け、という指示があり、うんざりしましたが、反抗することはできず、とある大学へ行きました。
偏差値的には高いところでしたが、恐ろしいもので、入学後もあまり学習意欲を持てず、何かの分野に打ち込むこともしないまま、なんとなく卒業し、就職しました。
おつきあいした男性はいましたが、母親が受け容れないだろうなと勝手に思って別れました。
その後、仕事を続ける日々。今から思えばとても良い職場でしたが、30歳前に、ウツっぽくなってしまいました。地元の母親に電話したところ、
「一人でいるからいけないのよ。結婚相談所に行きなさい」
と言われました。
今から思えばバカみたいですが、支配されていた私は素直に結婚相談所に行きました。
そして、そこで知り合った男性と結婚しました。
今から思えばバカシリーズアゲインですが、勤務先と社宅が遠く、超満員電車での通勤がつらくて、妊娠をきっかけに私は退職してしまいました。
それでいったん専業主婦となり、ときどき、イラスト・マンガでお小遣い稼ぎをしました。子どもが大きくなってからは、病院や特許事務所でパートをしていました。
結婚後20年近く経って夫のギャンブル依存症が発覚し、離婚しました。
その時、いろんな弁護士さんに会ったり、依存症クリニックに行ったりと、ディープな世界を垣間見ました。
その後、シングルマザーとして働いています。
あの毒母は、脳腫瘍で亡くなりました。大学病院に収容される前の期間、家で必死に介護もしたのでやれることはやった感があります。
私は死ぬまで働いていかないといけないな、と思ったそんな時に、中村淳彦先生の著作とVoicyに出会いました。
「誰かを尊敬したりするな!」「自分に向き合え!」「自分の棚卸をしろ!」という言葉が心に染み入りました。
ものごころついてから50歳くらいまで、完全に毒母に支配されてきたことに気づいた私が、悔いのないように生きていくために、まず必要なことは棚卸だなーと感じましたので、ここでざっくり書いてみました。
こう書いてみるとネタはたくさんあるなという気づきがありました。
ありがとうございます。