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night town city lights

まっすぐ帰るのは勿体ない気がした。

「9時の電車に乗るから」と言われ落ち着く間も無く丸の内の丸善のカフェでオムライス食べて、そのままオアゾを出たところで傘を忘れたことに気が付いた。

「傘忘れちゃった」と言うと「じゃっ」と手を振り東京駅へ行ってしまう友達。まあ彼は急いでる訳だし仕方ない。丸善に戻って受け取った傘は店員さんが乾かしておいてくれたおかげで一滴も雨粒が残っていなかった。さすが日本一の本屋さん。

せっかくひとりで帰るなら大手町まで歩こうと思い、東京駅に背を向けて歩き出す。雨も上がってセーター1枚で出歩ける気温の中、丸の内の始まったばかりのささやかなイルミネーションやビルの明かりに囲まれて日曜日の人通りが少ない広い道を歩くなんて、超贅沢。

2019年の振り返りnoteを12月31日に書きたいと思ってたし、今年あったことを思い出しながらゆっくり歩こうと思った。

こんな時にスローな色っぽいレゲエとかR&BをBGMにしたら最高、とか思ってたけどイヤホンを家に忘れたからBGMは風と車の走行音。

日記帳のようにその日の出来事を書き込んでいる手帳も家に置いたままで細かいことまで全部思い出せるわけじゃないけど、それでいいと思った。たぶん思い出せないことはそこまで重要なことじゃない。きっとそれは過去に置いてきていいことなのだ。


1月は、2月は、とか箇条書きにしていくつもりはないけど、思い返せば上半期は不安定で不穏だった。

私は自分がいる世界が大好きで、てっきりそこの住人になれた気がしてたけど、時々そこで感じる違和感を放置していた。違和感とちゃんとぶつかると私はそこの住人ではなくなるのを知ってたから。

ずっとビクビクしてた。

でもそんなことで追い出されるなんて、最初からそこにいるべきではない人ないんだよね。
いられたとしても一生「ゲスト」のまま。

自分より地位や名誉のある人と一緒にいると自分も同じ人種になった気がするって現象があるけど、私は全くそれにはなれなかった。

この人たちは一生懸命仕事してたくさんのお金を稼いで、そのお金で色んな経験を買ってこんなに楽しそうに人生過ごしてる。あれ私は?っていつも少しだけ悲しくなる。

本当に欲しいものは誰かの中にあるものでもないし、与えてもらうものでもない。

結局、最後まで住人になれず、「ゲスト」でもなくなった私はひとり都内に放り出された訳だけど、ある時は飯田橋で中学高校の友人の力を借りて(この夜のこともnoteに書こうかな)、ある時は六本木で朝まで踊って、ある時は美容施設に通って、そして丸の内や新宿や銀座で今まで出会ったことないような人たちと出会って、再び自分の場所を作ろうとしていた。

私は、ひとりで生きていけるタイプではない。

ただ、どうでもいい人と一緒にいて寂しさを紛らわすくらいならひとりの方がマシってだけで、本当は常に「ミューズ」みたいな人がほしい。

それは男性でも女性でもいいし、私との関係もなんでもいい。友達でも恋人でもその他の関係でも。

一緒に過ごしたあと、思わず何か書きたくなっちゃうような人。

そんな人は待ってても来てくれるわけじゃない。
自分がそれなりに外に出るような生活してないと現れない。


傷付くから恋もしたくない!失敗するの怖いから新しいこともしたくない!ってビビってたけど、恐怖心やそのほか全ての感情を追い越してしまうぐらいの激しい好奇心を生み出してくれるような人にたくさん出会えた気がする。

それはやっぱり自分がちゃんと過去じゃなくて未来の方を向いたからだし、オープンにしてたから。自分を褒めたい。

自分のこと諦めなくてよかった。自分を見捨てないでよかった。こういう時は、自分を救えるのは自分だけだと思う。

自己肯定 vs 他人からの愛情で勝つのは絶対に自己肯定だし、逆に言うと他人からの愛情をたくさん受けてても自己肯定出来ないとその愛情たちは効果を発揮してくれない。無意味なのだ。

自分がこの「どうしようもない自分」の味方になってあげないといけないね。 


ハッキリ気持ちを伝えることを怖がってるとロクな結末を迎えない。

分かってはいるけど出来ないことNo.1。

でも今年はちゃんと自分がいるべきではない場所が分かった。彼らの世界の住人になるのはまだ早かったから、いつか私が欲しいものを手に入れてもう少し大人になったらまた覗かせて欲しいなと思う。

それまでには私は自分の世界を作り上げてる予定だからあくまでも「覗く」だけ。

こうやって毎年毎年、人に傷つけられながら、人を傷つけながら私は必死に自分の世界を作り上げる場所を探してる。

トライアンドエラーの繰り返し。

だけど最近は素敵な誘いをいただいたり、私の感性が好きって言ってくれる人がいたり、結局ダメージを受けた分と良いことはトントンになるからやっぱり生きるのって悪くない。

こんなことを考えながら10分もかからずに大手町の駅について、地下鉄に入ろうとした時に目の前を歩いていた女の人からミスディオールが香りがしてなんだかすごく都会的でドキドキした。

それと同時に昔ミスディオールをプレゼントされたことを思い出したけど、結局そのミスディオールは新品同様のまま玄関に置かれてる。

嫌いな香りではないけど、私には似合わない香りだなと思った。

ミスディオールをくれた人とはもう疎遠だし、結局今周りにいるのは私の好みをピタリと当ててくれるセンスのある人だけな気がした。

スカイツリーより東京タワーが好きで、私がバラを嫌いな理由を分かってくれて自分で自分を愛することができる人たち。生きるセンスのある人たち。



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