考えすぎて、愛しすぎて、感じすぎる
年が明けても特に変わったことはない。
小さい頃はクリスマスも年が変わることも、特別なことだった。
だけど今は、あの時当たり前だった大切な人と過ごす時間が本当特別。
付き合い続けている人のことを「大切な人」だと認識するのは時間がかかる。しかもちょっと照れくさい。
プライベートでの遅刻癖は2019年も直らなかった。
突然人を突き放してしまうところもペディキュアは絶対に赤しか塗らないところも、もしかしたら一生そのままかもしれない。
私はきっと何も変わらないんだろうと思う。
冬の間も時々聴いていたSUPERBEEのSummer in 82は名前の通り季節外れのサマーパーティーチューンで、本当だったら2019年夏に日本から一番近い南の島で聴くはずだった。
2018年の12月に立ち読みした「2019年占いBOOK」には「異国の地で忘れられない言葉が聞けるはず」って書いてあって今年はもしかしてまた人生変わっちゃうの?とか思ってたけど、その異国の地への旅行もなくなってしまったから結局その言葉を知ることは出来なかった。
その言葉がなんだったのか気になるけど、考えるのはあんまり意味のないことだと思う。
過ぎ去ったことを追うのは無意味。
答えのないことを考え続けているといつの間にかそれに囚われる。
誰かと当たり前に一緒にいるようになると、この瞬間が毎年続けばいい、いや続くんだろうなって思ったりするのと同時に「始まったことはいつか終わる」という悲しい真実を思い出したりもする。
その真実のせいで幸福な時間に恐怖を感じて過ごすのは本当、勿体ない。
分かってはいるけど考えるのがやめられない。悪いクセ。
天国から地獄へ一気に突き落とされるようで、その落差にいつも勝手にヤラレル。
唯一の対抗策は、自分の気持ちに寄り添ってくれたり知らない世界にトリップできる映画や本、音楽を過剰摂取して隙を作らないようにすること。
その繰り返しで今の私が作られたと思うとなんだか皮肉なものだね。
でも、やっぱり、考えたって仕方ない。(笑)
過去は変わらないし、未来は分からない。
今を全力で生きて、今あるものと今いる人で幸福度MAXに過ごしたらもしかしたら未来はちょっとだけよくすることが出来る。かも。
だから深く考えるの今年はやめようと思う。
どうせ壁にぶつかることはこれから何度だってあるからその時にまた考える。
そもそも安心は欲しいけど安定は欲しくない。
安定と停滞は似ていて錯覚を起こして怠けてしまいそうだから。
壁を乗り越えるのは苦しいけど、それを乗り越えてきた実績は自信になる。
心地いい場所にずっと留まることは自分を殺してしまうことになりかねない。
異性にチヤホヤされてつく賞味期限の短い自信よりも、揺るぎない自信が欲しい。(いや、異性から褒められたりするのはもちろん嬉しいんだけども。。)やっぱり自分を救えるのは自分だけかも。
今年もきっと大丈夫。
今まで通り、心が傾く方にしかいかない。
誰についていくわけでもなく自分の心にしか従わない。
予測できない2020年、ハラハラドキドキできますように。
甘ったるいドラマもたくさんください。