危機と本音と欲望と
ペディキュアは剥げて、右手人差し指の爪は折れてる。ネイルをするのは自分の機嫌を取るためだとか言っておきながら全く手入れが行き届いていない。
もうネイルサロンにもマツエクサロンにも行けないけど、ペディキュアぐらいは自分で塗れる。
人に会わなくなると身体の手入れをサボってしまう。でも外出自粛のおかげで紫外線を浴びずに済んでるから将来出来るのシミは数は少なくなったはず。
世の中は世紀末みたいな雰囲気で街はゆるやかに死んでいってる。このままゾンビアポカリプスでも起きそうで、朝も昼も静かで人の気配がない。
本当はテラス席でランチしたり、公園散歩したり、コートを脱ぎ捨てて外出してる予定だった。
暖かくなったらお弁当作ってピクニックに行こうって約束も果たせないまま。
シャネルの春の新色リップを買う。
ワンピース着て誰かとデートしたり、友達とご飯食べてそのあとコーヒー1杯で終電まで話し続ける。
『ここよくない?』の一言で計画を立てて有休を取って旅行する。
そういう些細なことが出来なくなって、生活にだんだん色がなくなってきた。私の生活はそこまでカラフルじゃないと思ってたけど、振り返ってみるとちゃんとキレイな色ついてた。
「普通」が恋しい。
3月31日、まだこんなに世の中が暗くなる前。
普段は仕事終わりの突然の誘いになんて乗らないし、世間は自粛ムード入りたてで「今会うんじゃなくてコロナが収まってからいくらでも会えるから今はやめよう」みたいな雰囲気になりつつあった。
でももしコロナになったら会えなくなるし、もし死んじゃったら本当に会えなくなっちゃう。
「最後」はきっと突然やって来る。
だから私はこの日限り、誘ってくれた人たちに一時間刻みぐらいで会った。近況報告していつも通りバイバイしたり、たくさん愛を伝えてみたり。
会いたいと思うタイミング、唇を重ねたいと思うタイミング、笑い出すタイミング。これが他人同士一致するなんて奇跡?とか思ってみたり。
もう手放して良いもの。もう終わらせて良い関係。
これからも続けたい関係。こんな世の中になっても続けたいこと、実現したいこと。
不謹慎かもしれないけど、コロナのおかげで本当に必要なものは何か嫌でも思い知らされた。
何気なく会ってバイバイした日が最後になっちゃう時だってあるかもしれない。
「ああ、これが最後だ」って思って行動することって、ない。
何年か前に撮ったプリクラ、去年の春頃に行ったカラオケ。友達とご飯食べに行くのだって、「これで最後だね」なんて言わなかった。
また行くし、会えると思ってたから。
まあもちろんみんなと一生会えないわけじゃないと思ってるし、自粛生活がいつか終われば元の生活に戻ると信じてるけど、案外「最後」ってのは簡単にやって来て、気付かないうちに迎えてしまうものなんだろうね。
でも「これで最後かな」ってちゃんと実感して納めたことは案外また簡単にやって来たりもする。
高校を卒業する時、こうして廊下でおしゃべりするのは最後だなって思った。だけど、あの時の廊下は8年後の夜の銀座でも再現できる。
世の中がまた元通りになったら、「変わらないもの」を前よりもっと丁寧に扱いたい。
だから今夜、ペディキュアだけは塗り直そうと思う。
いつみんなに会ってもいいように、いつ脱いでもいいように。
いつ最後を迎えてもいいように。