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ものがたりは銀座から
久しぶりに銀座で焼肉を食べた。
一人焼肉をするのは本当に久しぶりで、なんだかんだ銀座でご飯食べるのも久しぶりだった。
窓際の席に案内されて11階からの眺めを堪能しようと思ったけれど、窓からの景色は銀座と聞いて想像するような景色とは完全に異なるもの。
キラキラ銀座中央通り♡ってよりは細長い灰色のビルがぎゅうぎゅうに並んでいて曇り空のせいかどんよりした雰囲気。
だけど一人が大好きな私にとって(独りはNG)自分のペースでご飯を食べられたり、買い物できたり、まつげエクステとネイルとマッサージを一日に集約して忙しく動き回るのは至福の時なのである。
だから久しぶりの一人焼肉に心躍らせてインスタグラムに網の写真を投稿。
そしたら大好きな友達からソッコーリプライ。
「今日お休み?」
「ネイルまで時間潰してる」
「やよちゃん、銀座かなと思って」
大正解。私が一人ふらついているのは大体銀座だし、あなたと会うのも銀座よ。
「どこらへん?」
マロニエゲートと三越という絶妙な距離。会わない選択肢はない。
不思議なことに、約束してなくても突然会ってしまう人っている。
しかも必要な時に。
彼女と初めて会った大学生の時から変わったことは、もちろんたくさんある。
二人揃ってつけていた赤い口紅も、今ではマットなブラウン系やローズ系をつけるようになったし、ショートパンツを履く頻度も少なくなった。
ちゃんとお互い自分に似合うものを見つけている。
私たちが抱く欲望や野望は年々変化を続けて、大きくなる。
あれがしたい、こうなりたい。
欲望は恥ずかしいものではない。
むしろ積極的に外に出していかなければ、死ぬ。
欲望とともに自分も消えて無くなる。
向かいたい方向っていうのは、きっと向かうべき方向。
自分が咲きたい場所で咲く。置かれた場所で咲いたりなんかしない。
でもこうして自分がなりたいかで悩むってことは実は高尚なことだと思う。
これは数年前に文通していた大学時代の友達からもらった手紙に書いてあって気付かされたこと。
マズローの欲求五段階説において、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」の欠乏欲求なんてどうでもよくて「自己実現」の成長欲求しか私にはないのだ。
そう、図で表した時のピラミッドの頂点の部分。
最高な人生を送るためには、画家は絵を描かなきゃいけないし、小説家は文章を描かなきゃいけない。デザイナーはどんどん湧き出るアイデアを外に出して形にしなければならない。
でも自己実現のサポートをうたった胡散臭いビジネスはクソ。
だってあんたたちがターゲットにしているのって違う人たちだから。
そんなことは置いておいて、とにかく自分の本性に従って生きることが大事なんだとここ数年思い続けている。(本能ではなく本性ってところがポイント)
色んなことに気がつき始めた今、やっぱり彼女と歩く銀座の広い道って本当に懐かしい気分になるっていうか毎年誕生日を迎えて年を重ねていること忘れてしまうし、「あの頃に戻った」感覚になる。
そうやって過去に引き戻されたり、自分の本性と向き合ったりしながら私たちは生きる。
久しぶりの銀座は東京のくせに空が広くて涼しかった。
銀座だってちょっとずつ変わってる。
銀座一丁目は相変わらず最高。コリドー街にいる媚びた女とダサい男はFUCK。
私たちは髪をなびかせて中央通りを闊歩し続ける。