以前やっていたブログ「他者と私とAS(アスペルガー症候群)」を閉鎖した理由・その裏話
以前、私はFC2ブログで「他者と私とAS(アスペルガー症候群)」というブログを運営していました。著書に掲載していただいたアドレスもそちらです。ですが様々な理由により2016年12月31日に削除しました。
理由は当時も記事には書いたのですが、すぐにブログ全体を消してしまったため読めなかった方も多かったのではないかと思いますし、閉鎖後にアドレスを知って存在しないことに疑問を感じていた方もいるかと思いますので、せめてこちらに理由を書くことにしました。
当時のブログに掲載した閉鎖理由(原文ママ)
・更新しなくなった。
更新したいと思う内容が思い浮かばなくなりました。
また、生活の変化、興味の内容の変化などにより、blogを書く時間をとらなく(とれなく)なりました。
・自閉症スペクトラムへの興味がなくなった。
普段生活していて、自閉症スペクトラムに関して特に思うことがなくなりました。
・自分の思ったこと、考えたことを不特定多数に公開している状態が気持ち悪くなった。
上記理由の補足
もう少し補足説明を書いていきます。
「更新しなくなった」については、文字通りで「ブログに書きたい」と思う話題が出てこなくなりました。当時のブログはアスペルガー症候群特化で、特に「自分の問題点を見つけ、その原因を書き出す」というテイストの文章が多かったのですが、「自分を改めて問題解決を図る」という発想をしなくなり、ネタがなくなってきたのです。その上7年近く自己分析を続けていたので、自分の問題点も見つかりづらくなっていたのでした。
ブログ更新が熱心だった時期は、私のうつ病がかなり悪かった時期なのですが、その頃は「自分には生きている価値がない。『生きていてもいい理由』がないならば死ぬべきだ。人の役に立てなければ生きていてはいけない」と思っていたので、ブログを書くことを通して必死に「自分が生きていてもいい理由」を作ろうとしていました。結局、そんなものはブログを通してでは作り出すことも見つけ出すこともできませんでしたが……。
「自閉スペクトラム症への興味」についてですが、ブログを書き始めたころは「自分の自閉スペクトラム症らしいところってどんなところだろう」と必死に分析していました。しかし、自己分析を続けながらブログを書いているうちに、自分のことを「自閉スペクトラム症だから大変なんだ」「自閉スペクトラム症だから苦労しているんだ」というふうに捉えることに苦痛を感じ始めました。「人生を生きることは誰にとっても大変なことではないのか? 自分が自閉スペクトラム症だからといって、特別に大変ということはないのではないか? 人生がつらくない人なんていないんじゃないか?」と思うようになりました。そして障害当事者の中に一定数いる「障害があるから人生が大変。障害のない人は楽に生きている」という考え方に同意できなくなり、「当事者活動」がやりたくなくなったのです。
最後の「自分の思ったこと、考えたことを不特定多数に公開している状態が気持ち悪くなった」は説明が難しいのですが、自分に対して「誰かがどこかで何かを思っている」という状態に嫌悪感が強くなりました。自分がネットを見ていない間にも、記事のシェア数が増えたり、どこかでコメントされたりしている……それが耐えがたいほど気持ち悪くなってしまったのです。「悪く言われているかもしれなくてイヤ」なのではなく、「良くても悪くても、自分の知らない場所で何か言われたり思われたりしているのがイヤ」なのです。私は見通しの悪い状況が非常に苦手なので、人の頭の中という察知しようのない場所も苦手なのかもしれません。(気にしても仕方のないことではあるのですが)
noteに書き始めたのはなぜか?
以前ブログをやっていた頃に作った小冊子「私の正体」のデジタル版がnoteにありました(2020年7月22日、電子書籍化準備のために削除)。これを残しておくためにnoteのアカウントも残っていたので、なんとなく発信したいことができてきたときに、「じゃあnoteで書こうかな」と思ったのでした。
ブログ閉鎖の裏話
裏話というか、もうちょっと踏み込んで「こんなことがイヤだったんだよね」という愚痴がこの先に書いてあります。それに関してはあまり広く広まるのもイヤなので、有料記事にしておきます。大部分愚痴で、特に役立つことは書いていませんが、興味のある方はどうぞ。
裏話1)粘着荒らしにウンザリした
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