No.018ヤギさん郵便「必死になる」
夜の山になんて入るものではないと思います。
昼間でさえ危険があるのに夜の暗闇で昼間に見えるものも見えなくなるわけですから。
私はナイトセッションのあるチーム戦の山岳レースに出場したことがあります。
スタートの1時間ほど前に地図が渡されます。GPSなどの電子機器は使用できず、コンパスと地図で初見の山を進むのです。
ヘッドライトをつけて、マウンテンバイクを担いで山に入ります。林道ではバイクに乗りますが、石や倒木で転倒や滑落のリスクは高まります。また、夜の山では何の動物かわかりませんが鳴き声が聞こえてきます。
ひと言でいうとコワイです。
コワイと思ったら一歩も動けなくなります。
私はスタートしてたった1時間で帰ろうと言いました。
「なんでやねん!」一斉にチームメイトからツッコミが入ります。
腹を決めて進むことにしました。
送電線や町の明かりの人工物はいい目印になります。山の形や川の流れを地図と照らし合わせて進みます。
必死です。
いつもと違う何かのスイッチがONになります。殺気立つという感じです。
そうなるとコワイなんて頭に浮かばないのです。
さっきまでコワくてたまらなかった動物の鳴き声が、鳴いてるなぁくらいにしか聞こえない。
ここで落ちたらどうしようなんて思わない、落ちないために神経が研ぎ澄まされていくのです。
進むだけ、ただ進むだけ。
夢中で夜の山を駆け回り、必死だったと気がついたのはレースが終わった後でした。
必死になろうとして必死になるのではない。必死にならざるおえない状況下では必死になるのです。
人生でもそうかもしれません。
何かが起こってどうしようと迷っているうちは大したことではなくて、何かが起こると無意識に必死になるスイッチが入っていて、乗り超えている。
何か不測の事態が起こったけれどなんとかなったという時、必死のスイッチが入っていて、それに意識では気がついていなかったということかもしれません。
高校生で母が亡くなった時、
小学生の子どもを抱えて夫が亡くなった時、
一夜にして人生がひっくり返ることが起こったけれど、
それでもこうして生きていられるのは、
そういうことだったのではないかと、改めて思うのです。