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No.003 ヤギさん郵便 「ひとつだけ」


子どもが保育園の頃、お箸の持ち方を矯正させるどうか考えたことがあります。
そんなの教えるのが普通ではないかと思う人が多いのではないかと思いますが、
私は、その年齢の子どもには、「食べる・寝る・遊ぶ」この三つが生きる土台になると思っていました。ここさえちゃんとしていればなんとか生きていけるのではないか。だからこの三つの経験を汚したくないと思いました。
私は親として何も教えてあげることはできないけど、せめて人が生きていく上で大切な基礎を育める環境を与えてあげたいと思いました。だから、お箸の持ち方を繰り返し教えると大事な食べる時間が、なんだか汚されるような気になったのです。

体を使って遊び、お腹が空いたら食べて、眠たくなったら寝る。昭和のイメージで想像してください。今どきのかわいい服などは不要で、汚れたら着替えたらいいし、こぼさず食べなくてもいい、お昼寝の時間じゃなくてもお布団じゃなくても気持ちいいなら縁側の板場でゴロンでいいやん。何が気持ちよくて何が気持ちよくないか体でわかればそれだけで大丈夫。
学校にあがったら、時間どうりに行動して、決めれたとおりにやらなくちゃいけない。今だけじゃないかな縛られない生活が送れるのは。
遠隔地の時間が止まっているような田舎の保育園に通わせました。保育料は高かったし、普通じゃなかったから反対もされたけど、保育料は自分で稼ぐって大見得切って通わせました。

子どもは小学校にあがった時、苦労したと思います。
チャイムが鳴る5分前に時計を見て次の授業の準備を始める同級生についていけるはずがありません。みんな保育園からそう行動できるように訓練されていたのですから。

誰も傷つけることなく生きていくことなんてできない。
そうかもしれません。

なんで、みんなと同じ保育園に通わせてくれなかったの。って子どもは言わなかったけれど、もし言われたとしても私は絶対謝ったりしない。
あなたのためだったのよとも言わない。
あの頃の私がいっぱい考えて、それでこれが最善だったと答えます。

謝られると自分は間違えて育てられたように伝わるかもしれない。あなたのためなんていうと責任回避に聞こえるかもしれない。間違いだったかもしれないけれど、あなたへの最大限の愛の形がこれだったそう伝えたい。

やりたいことがあるならやったらいい。善いと思うこともそう。
佑美さんのラブレターは必要としている誰かに届く。きっとあの人にも‥。
覚悟、支点、ひとつだけ、何か揺るがないものがあれば、迷わず進めるよね、佑美さん。

そうそう、高校生になった頃に子どもが食事中に言ったの
「今、お箸の持ち方を練習しているや。中指をこうすると正しい持ち方になってな、小さい豆とかもつかみやすいんや。」って得意げに。
「そんなん知ってるわ。」って心の中で思ったけど、もちろん言わない。
随分遠回りさせたけど、人から笑われたりしたのかもしれないけど、自分で恥ずかしい思いをして、練習して正しく持てるようになる。
その日の食事は何を食べたか覚えていないけれど、その日の食事のことはずっと忘れないと思います。




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