書き始めの1文
こんばんは、ディースです。
↑最近(今日は)この1文の意義を考えています。
ご存じの通り、私の日記の書き始めの1文は毎回挨拶になっています。日記を始めた時に何となく「最初は挨拶からだよなあ」と思ってそれ以来ずっと挨拶スタートになっています。要は特にこだわりはありません。
そんな程度の1文なのですが、書き始めが固定されていることで助かっていることがあって、それは機械的に日記を書き始められるということです。
書く気があまり起きないときも挨拶を書いてとりあえず手を付け始めてしまえば、何かしら書くことが浮かんでくるものです。最初の1文がルーティンのようになっている気がします。言うならば日記のやる気スイッチ。
ではなぜこの書き始めの1文に疑念を抱くようになったのかというと、他の人の日記を読んでいて、目を引くタイトルからの本文一発目で即オチバーーーン!みたいな勢いのある文章がおもろいなあと思ったからです。インパクトあっていいよね。釣りタイトル+出オチの美学(?)
こういう形式で書きたいなあと思ったときに、1文目が固定されていると都合が悪いなあと思うわけです。タイトルから本文へのスムーズな流れを妨げんねん。
こだわりがないんなら回によって変えればいいじゃんと思うのですが、なんか続けてるから急に止めるのもなあと思うと同時に、上述のメリットもありーので疑念に留まっていますが。
いろいろ考えましたが、自由に書けばいいと思いました(思考放棄)。
ではまた明日✋
↑これも何かマンネリ感ですが、まあしばらくはこのままいいか。