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老後を肯定的に捉える
うちの窓からイチョウの木が見えるのですが、冬が終わってから小さな若葉がつき、みるみる葉っぱが大きくなり、葉っぱの数が増え、色も深い緑に変わっていって、真っ直ぐな生命力を感じます。
自分やじぶんの周りの人たちは、こんなふうに真っ直ぐ生命を肯定して生きているかな、とふと思いました。
少し前に親が体調を崩したため実家に帰りました。実家では、「病気をしたり高齢になって不自由になると惨めだ。そうなったときのためにお金を貯めろ。家族がいないと大変だ(結婚しろの意)。」と言われました。体調を崩して不安な時に、貯蓄や家族の支えが気持ちの安定に繋がることは実感として理解します。資産や家族への感謝の気持ちを否定するつもりもありません。が、違和感を感じたのも事実です。
未来を惨めなものと言われたことに違和感を感じました。先の未来を生きるのは惨めで大変なことであると思ってしまうと、生きていくのが辛くなるのではと感じます。人間の生命も真っ直ぐ伸びていくものと私は考えます。
高齢になって病気になっても大変なこともある中でもやはり人生は楽しいはずだと思って進んでいきたいものです。例え家族がなく資産がなくても、高齢になったり病気になったりした人が楽しく生きていけるようなしくみが必要だと思います。もしかしたらそういうしくみがあるのに、十分に調べなかったり申し訳なさから家族だけで抱え込んだりしてしまうこともあるかもしれません。その点では政策だけでなく、個々人の考え方や社会全体の理解も重要です。
わたしが建築設計を通してできることは、高齢になったり病気や怪我をしても住めるような住まいを考えることです。ただ、それを設計のコンセプトにすることはありません。むしろ、家に当たり前にキッチンやお風呂やトイレがついているように、当たり前に未来も住めるように設計したいです。その上で、空間の雰囲気などの本来自分が重視していることに注力して設計していきます。
参考にしたい研究として、上野千鶴子さんの研究、ドロレス・ハイデンの研究、以前所属していたゼミの後輩が行った高齢者の住まい国際比較研究、があります。
また設計の提案として、階段しかないマンションの動線を解決する方法を考えてみたいです。