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創造と経営

最近経営に関して気になっている。が、純粋に設計だけをするのが設計者としてあるべき姿なのでは、とも思って迷っている。

もともと経営に全く興味がないなら設計に特化してよいと思う。
ただ、私の場合は経営にも多少興味があるように思う。でなければ、そもそも経営を勉強しようかやめようかなどと悩みはしない。
単純に興味があるならやってみるのはアリともいえる。

また、いくつかのアトリエ系建築設計事務所で雇用されてきたが、経営がうまくいっている事務所など日本にいくつ存在するのか、とおもうほど、アトリエ系設計事務所というのは経営がひどいところが多い。
(それでも事務所が存続しているのは、業界内ではスタッフの給与が著しく低く超長時間労働が普通で、さらに教育という名の無償労働が横行しているからである。)
いろいろな事務所があるが、ざっくりいうと作品の力に頼るか、量に頼るかのどちらかの方向性をとっているように思う。(多少グラデーションはある。)
前者は素晴らしい作品を残すが、こだわればこだわるほど膨大な労働力を必要とするため、そして日本の設計料の設定ではどれだけ手間をかけたかは基本的には設計料に反映しないため、採算があっていない。
後者は、前者のようになることを恐れ、あるいは作品の力がないため、低い設計料で数をこなすようになる。しかし量産作戦はハウスメーカーにかなうはずもなく、少数でまわすアトリエ系設計事務所に向いた方針とはいえない。
つまり、前者にしろ後者にしろ設計ばかりやっているから、採算が合わないのではないのか。設計者の視点ではなく経営者の視点で戦略を練る必要があるのではないか。

設計者たるもの設計だけをすべきだ、というのは規範でも理想でもなんでもなく、むしろそういった純粋さを理想としたために、経営がおいてきぼりになり、ひどい現状があるのではないかということだ。(じっさい、幾分常識的な労働環境の設計事務所では、経営者的視点や戦略を感じる。)

私は今まで、建築家の作品や言動をみて、作品ではなく戦略で勝負している人をあまり好まなかった。ただ、設計という仕事を社会の中でよりよく存続させていくためには戦略が必要で、それは作品をないがしろにすることとは違うと気づいた。むしろ事務所の経営がよくなることは作品をよくする可能性もある。

まだまだ迷いもあるが、「経営」も少し学んでみようかという気になりつつある。


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