essay 2 かぜのふくひは
かぜのふくひはのはらはうみ
そんな絵本(谷内こうた、『かぜのふくひは』)の1節が思い出された。
仕事から戻って家の近くまで来ると、裏の家の木々が、ザアザア音を立てて揺れていた。
おや、今日は、少し高いところで強く風が吹いているみたい。
木々は枝を揺らし、葉と葉が、枝と枝が擦れあって、我が家は、木々のざわめく音の中にあった。
でも、風が通っているのはここだけらしい。
二階に行き、鞄を置いて、窓から裏の家の庭を見て、背中に一瞬熱くて冷たい痛みが走った。
裏の家が建て替えをすることは薄々知っていた。
もともと地主さんの土地で、所有者の方が亡くなり、息子さんが後を継いで、相続対策にマンションを建てる、という話は前々から聞いていた。
この辺は地主さんが数人いて、矢島とか岸とか聞けば、その一族、と判断して間違いない。
隣も、敷地は広く、そこに様々な木が植わっていた。黒柿、梅、泰山木、山桜、その他名前は分からないけれど沢山の種類の木。
我が家の境界線にも、椎や楠、欅など。
八階建て300室のワンルームマンションに作り替えるために、切らずには整地できない場所にある黒柿や梅の古木や山桜やの幹に、赤い紐が結えられていた。
そして、さらに我が家との境界の木々にも、何本かに、赤い紐が結えられていた。
ついに、恐れていたその時、が来てしまったのだ。
泰山木は、大きく、マンションの6階にゆうに届く高さがあり、白く大振りな香り高い花を天に向けで開き、風格があった。何てもったいない。木の下に行って、腕を広げて木に抱きついても、とても一人では抱えられない太さがあった。
(後で知ったが、これは、さすがに伐採はせず、植え替えと決まったようであった。)
隣家の木々とは言え、長い付き合い。日々生長を見てきた木々である。幹に彫られた落書きは、その家の子か、もっと前の子が幼い頃彫刻刀で彫った文字だろう。それが、樹が大きくなるにつれて、間延びして拡大された文字になって、我が家の二階の窓の高さまで来ていた。
境界の木の一本は枝を隣の木に預け、丁度仲良しが肩を組んだような格好になっていた。
仲がいいんだねぇ。
我が家の子供達は、それぞれ、これは僕の木、こっちは私の木、とお気に入りの木があり、隣の家の庭と木々は私の家の一部になっていた。
夕暮れ時、隣家のご主人が風呂を沸かすために、斧で薪を割る、ドスっ、ドスッという音がすると、息子は二階の窓から外に首を出して、
おじさ〜〜ん、こんにちは〜
と声を掛け、
おう〜
と返事があったり、なかったり。
しばらくすると、薪の燃えるかぐわしい匂いがして、小屋の上から煙が立ち上っていた。
そのご主人が亡くなり、その後、広大な土地の相続の関係で、マンションを建てることになった。しかも、マンションは我が家の南と東をL字に囲む形で建てられ、八階建てだと言う。太陽の光は、これからはうちには十分には届かなくなるだろう。
その肩に手を回した仲良しの木の幹に、赤い紐が巻かれていた。
伐られてしまうんだ。
大変だ。
あの木々の異様なざわめきは、このことだったんだ。
仲間が伐られてしまう。私には木々のざわめきの意味が分かった。ここだけ風が吹いているのではなく、ここの木がお互いに仲間を失うことについて慌てて連絡を取り合って会話している。
隣家の土地や家の広大さに比べ、我が家はちっぽけなものであった。敷地いっぱいに家が建っているので、勿論庭と呼べるような庭はない。
部屋も狭い。夜眠るために、狭い部屋に布団を3枚敷き詰めると、後は本棚だけの部屋なのに、それでいっぱいになってしまう。子供が3人と私。その布団の合間の人のいないところに猫が寝る。
秋の夜、ひとり一冊と決めた絵本を読んでやり、そうしているうちに、空の高いところで風が吹いて、
コツン
と音がする。
コツン、、、コツン、、、
あれ?
絵本の頁から目を離し、お互いに顔を見る。
コツン、、、コロコロコロ、、、コツン、、、ザクッ。
コロコロコロ、、、、コツン、、、カサッ。
屋根に落ちたドングリが、瓦の上を転がって、ベランダに落ち、一度バウンドして、階下の落ち葉の溜まった庭に落ちる音。
うわぁ!
そのドングリの落下の作り出すリズムの微かな音楽にしばらくこみ上げる笑いが止まらず、顔を見合わせて、目と目で笑い合う。
秋のある一定期間は、そんな木の実の音楽会を聴きながら、眠りにつく。
そのドングリの木の何本かが、伐られてしまうんだ。
私は、マンション建設の部外者で、庭の木のどれを伐ろうが、どれを残そうが、そんなことはとやかく言える筋合いはない。
だが、木は騒いでいる。
そのことだけは伝えなくては。
翌日、地主さんの息子さんに手紙を書いた。
馬鹿げていると思われるかも知れませんが、木々が騒いでいます。何とか境界の肩を組んだ仲良しの木を助けていただけませんでしょうか?
その後、その方の親切な計らいによって、その木は残されることになった。
普通は、木は嫌がられるんですよとその方。
落ち葉が樋に詰まる。落ち葉が庭を汚す。その他。確かに周りの家の人は、その大木のことを迷惑がっていて、定期的に枝払いを要求している。日照権という問題もあった。
だから、私が残してくれと頼んで、落ち葉の量が増えることは、周りの家の人にとっては、とても迷惑なことであった。
でも、私は、自分が非難されることより、木々のことが思いやられた。木々にはたくさんの鳥がいて、一度に沢山の木を伐られて住処を失ったら、鳥達は次はどこに行くのだろう。
ここは環七脇で都心に近く、大きな公園もなく、緑も少ない。
たまたま、左隣の家の友人が家を売って引っ越し、その後その家が売りに出た。6800万円。家は長いこと売れず、そのうち、関わっている住宅会社が、塀を隔ててその売り家の屋根の上に枝を伸ばして、深々と緑陰を作っている木の上部を切り払った。
幹と枝の一部は残ったが、葉のついた枝はなくなり、太陽が真上に来る頃の日当たりは、良くなった。
だが、、、
鳥が寄り付かなくなった。
今まで長いこと、特に餌の不足する冬場には、彼らのために、ひまわりの種をベランダに置いていた。シジュウカラが多かったが、その他の鳥も啄みに来ていた。
その日を境に、鳥の声はすれど、ベランダのバードフィーダーには、鳥はぴったりと寄り付かなくなった。私の家と隣の家は、住む者が別であるが、鳥は、同じ、と認定したかのようである。
あそこには、行ってはいけない、と住処を失った鳥が仲間や子供に言い聞かせたのだろうか。
冬場にはもしかしてと思い、ひまわりの種を置くが、全く無視されて、
鳥達はいつになったら許してくれるのだろう
と思う。鳥はいるのに、我が家のベランダには寄ってくれない。
馬鹿げた申し出をして、境界の木を出来るだけ残してもらったが、勿論不便はある。屋上に落ち葉が貯まりすぎて、排水がうまく行かなくなり、雨漏りすることもある。だが、それでもいいのだ。
これを読む人は、お伽話好きの乙女チックな女の馬鹿げた妄想、と思うかもしれないが、
木は生きていて、それぞれの方法で会話をしている、と私は確信している。