雑記 1194 最後の檸檬八朔収穫

画像1 24日の日、京都は朝9時に雪が強く降り始めた。天気予報を見ると、奈良も同じように❄️雪のマークがついていた。今日は、八朔の収穫の日。だから、今日だけは晴れるといいと思っていた。突然に降り始め、次から次へと空から降ってくる雪を見て、雪の好きな私は本当は嬉しいのだが、作業が濡れて大変になるので、今日だけは、降ってほしくないと思っていた。
画像2 旅行や催しがある時、友人の中に、俺は晴れ男だ、と言う者が一人ならずいて、今日晴れて1日が有意義に使えたのは、自分の力だ、と自慢げに言う。理不尽と思いつつ、お蔭様で助かった、と礼を言う。晴れ男は、どんなもんだいと胸を張り、感謝の言葉を手柄のように受け止めて、得意な顔をする。だから、今回の収穫日も、今日こそは、その本領を発揮してもらいたい、と思い、もしかして集まった中に晴れ男がいるのではないか?と言ってみたが、雪が降りしきる中では、芳しい返事はなかった。
画像3 友人宅に大きな八朔の木が2本、檸檬の木が1本あって、毎年1月に友人で集まって、収穫をする。八朔はダンボールに20箱以上になる。檸檬は、8箱くらい。今年はその家のご主人が病気して、予定が1カ月以上伸びてしまった。
画像4 奈良に向かう途中、八朔も檸檬も、今年は切って処分し、後を駐車場にする予定だ、と聞いて、ショックを受けた。木は、ここでも切られてしまうのか。今年は、檸檬の皮がどれも黴が原因か、汚くなっている。
画像5 いつもの、幸せな檸檬色は、ひとつもなく、さらに、木は、またの年の収穫を期待することができない。とても残念だが、他所の家の庭木のため、何とすることも出来ない。
画像6 実を取っている時、空は、しぐれたり、薄日がさしたりいた。午後になって、突然に霰ではないが、雪にしては塊になったものが降ってきて、あんな雪は初めて見た。
画像7 二度と再び、この果実の幸せな色を見ることは出来ない。これは2021年1月の収穫の時の果実。別れというものは、突然にやって来る。理不尽な思いもあるが、自分の思うように出来ないことは世の中に沢山あり、自分がもしこのような収穫をしようとするなら、あと150年は生きながらえなくてはならないだろう。残念だが、致し方ない。

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