雑記 308 His Master's Voice
高田馬場でJRに乗り換え、池袋で東武東上線スペーシアに乗った。
乗ったはいいが、乗り換えの改札をSuicaでいつものように通過してしまい、降りる駅でSuicaが使えない、と知ったのは、現地に近くなってからだった。
Suicaが使えない、なんて、思ってもみなかった。
便利な生活が当たり前になってしまって、生活の感覚が狂っていることに気がつかない。
昼ご飯は、駅構内の売店か、駅前のコンビニで、おにぎりでも、
と思ったが、そんなものはどこにもないのだった。
何十年も時代がスライドしたように、古い生活があった。
現金を持たなくても、Suicaとクレジットカードがあれば、京都との往復は可能、という生活が、それほど不思議でなく、たいそうなことでもない日々を暮らす私には、
いちいち「何もありません」「そんなカード持っていても使えません」「Suicaで乗り降りは出来ません」「駅の売店は土産物は売っていますが、おにぎりはありません」と、「えっ!」ということの連続だった。
昼を食べ損なって、お腹が空いた。
ホテルの売店になら、カップ麺くらいはあるだろう。
そう思ったが、
営業時間、というものがあって、売店が開くのは、日に3回だそうだ。
ロビーに行くと、ガラス一面に、圧倒的な雪の山が迫って来ていた。
そして、開いてはいなかったが、BARは、テーブルが皆窓の外を見るようになっていた。
その一番端に「蓄音器」が置いてあった。
Victorのマークで有名な、犬が蓄音器から流れ出るご主人の声を聞く、His Master's Voice。
ハンドルをギリギリと回すと、レコード盤を乗せた回転盤が回り、ぐにゃりと曲がった真鍮の取手を、レコード盤の一番外側にそっと置く。
すると、アサガオ、と呼ばれる部分から音が出て、これで、昔の人は、ベートーヴェンの第九も、何枚ものレコード盤を、A面、B面、とひっくり返し、第三楽章はまた別のレコード盤で、というように、聴いた。
ゆらぎ理論で有名な佐治晴夫先生は、戦時中、また戦後、レコード盤に置く針は、多く竹製の針だったが、それも手に入らなくなると、葉書の角を使って、音を再生したものなのだよ、とよくおっしゃっていた。
今でも同じようにレコード盤をかけて、音楽を聴くことは可能なのだろう。
都会から離れて、田舎に行くと、時代を何十年も遡ることになる。
普通、とは、何?
という問いが浮かぶ。