雑記 61 UFO来てるけど、見る?と言われた……
UFOの話になる前に、少し説明しなければならないことがある。
1997年の3月の話。母が末期癌だと医者が言う。余命三か月。歳も歳だし、腰椎の骨癌では手術も無理。外科的にはもうすることはない、と。
途方に暮れた私は図書館に行き、ターミナルケア関係の本が並んでいる棚を見た。
少しでも痛みが和らぐよう、少しでも不安が除かれるよう、いい人生の終え方が書いてある本はないかと探した。
図書館の医療介護関係の本の棚に、村上龍の『能力から超能力へ』という本が混じっていた。分類を間違えたのだろう。
村上龍の本に書いてあったことは、かいつまんで言えば、人が超能力と思っている力は、実は人間には本来備わっている力で、出来ないと思って封印しているから使えないだけだ、ということだった。
その頃、高塚ヒカルと言う人がいて、手を当てるだけで、癌の末期の人を次々治すことが、週刊誌やテレビで話題になっていた。
「嘘八百、テレビのやらせだ」
とあの大槻教授が、テレビ番組の中で、いつものように怒り狂って、挑戦的な口調で挑みかかっていたが、「では」と高塚ヒカルが大槻教授の肩に手を当てると、何分もしないで、五十肩の痛みで上がらなかった大槻教授の手が上がった。この時、教授は憮然とした表情で肩を回し、そのまま番組は終わった。
手を当てるだけで、身体の不調が治り、癌が消えることがあるなら、やってみる価値はあるだろう。
昔から「手当て」と言うではないか。
村上龍の本に書かれている、能力の超能力化を研究する会社を調べたら、実に、私の住んでいるところから自転車の距離に事務所があった。
私は超能力者になりたかったわけではない。当面、骨癌の痛みが、薬ではなく人の「氣」で緩和できればいい、と思い、それにはどうしたらよいか、知りたかった。
だから、特にその団体でなくても、気功でも、レイキでも、なんでも良かったが、近くだと言うことで、行ってみた。
前置きが長くなった。
1998年の2月のある日、
家族で息子の誕生日祝いをするために行った西新宿の住友三角ビルの「勘八」という寿司屋の前で、その会社の人二人とすれ違った。
「こんにちは! こんなところで会うなんてびっくり!」
とお互い驚いて軽く手を振って、人と人が出会う確率を思い、後10秒遅ければ、ばったりということはなく、同じ場にいたことさえ知らぬまま終わっただろうと思った。
寿司屋に入って、席に着き、注文を済ませたところで、携帯に電話がかかって来た。
先ほどの彼女からで、
「ね、UFO来てるけど、見る?」
という。
「えっ!UFO?」
私は携帯電話のマイクに手をかぶせて、口ごもった。
私が母の癌のために「超能力まがい」のことをしようとしていることは、家族には言っていなかった。習いに行った先は、宗教団体ではないが、超能力に類することは、怪しげで、いつも後ろ暗い気持ちがしていたし、とても家族の賛同が得られるとは思えなかった。
でも、母の痛みを軽くしたいため「藁にもすがる思い」で何か出来ないかという気持ちはあったのだ。
UFO来てるけど、見る?
うっ、と声が喉で詰まって、返事に困り、しばらく考えて、今は成り行きに任せよう、と思った。
「ねぇ、さっきすれ違った人が、UFO来ているけど、見る?って言ってきているんだけど」
反応は案の定。
夫は「勘弁してくれよぉ、そういう話」と迷惑な表情を顔いっぱいに広げた。
息子は「えっ? UFO? そんなもん、勝手に飛べよ」と冷たく言い放った。
娘だけが「見てもいい」と言い、
私は「せっかく声をかけてくれたのだから、行ってくるね」と言った。
展望台は寿司屋のフロアの一階上にあり、そこに行くと、
「ほらほら、あれよ」と彼女が指差して言う。
確かに。遠くのほうで、光が突然現れたと思うとそれがどんどんビームを放って、ぼんやりした光がまばゆい光になった。と思うと、突然に消えた。
するとまた、別のところから光の点が現れ、ぐんぐん光度を上げて、瞬間移動。
今では、こんな動画はYouTubeに溢れている。
「大変!パパ呼んで来なくちゃ」と娘が言って、一階下の寿司屋に夫を呼びに行った。
夫と息子が来て、ふ~~ん、と浮かない声を出して、疑い深く見ているところに、
また下の階の寿司屋から娘が飛んできて、
「大変!私達が座った席から同じ場所が見えるの」と。
誘ってくれた彼女にお礼を言って、私達は寿司屋に戻った。
テーブルの上には、注文した寿司が並んでいたが、この客は、寿司を注文しておきながら、店を出たり入ったり、何やっているのだろう、と思われたに違いない。
何を食べたのか、美味しかったのか、私は、ほとんど覚えていない。
ただ、目の前は一面の硝子窓で、その向こうで、UFOは、現れて光度を増し、瞬間移動して、消えるということを繰り返しているのだった。
今ではネットで、このような動画を見ることは、容易に出来る。現れて移動して消えるなどの映像は、珍しくもない。また、人々の拒否反応も少ない。だが、時代は、まだそこまで辿り着いていなかった。
私がUFOの話をすると、相手は決まって困ったように笑って誤魔化した。そして、二度とそれまでのような親しい付き合いが出来なくなることもあった。それっきり縁遠くなって友達でなくなる人もいて、私はいつも犯罪を犯しているかのように、後ろ暗い気持ちだった。
例えUFOに遭遇したとしても、こう言う話は自分の中だけに留めるべきものなのだろう。
以前、JALの機長が、飛行中ジャンボジェットの何倍も大きいUFOに遭遇して、帰ってから、報告。UFOを確かに見た、とイレブンPMの番組内でも言って、世間の顰蹙を買い、顰蹙だけではなく、彼はJALの中で降格、機長という職を失ったのだった。
見た、と言わなければ、機長でいられたのに、その後、退職するまで地上勤務だった、という。
そんな時代の話。だが、月刊ムーは、既にあって、UFOの話やオーパーツの話を特集していた。
二時間ほど、その席にいて、見ていると、数機のUFOが階段状に整列し始めた。
その先には、母船と思われる、不透明な雲があった。そろそろ帰るのかもしれない。
と、夫が、「帰るぞ」と言う。
「え? もう少し・・・」
「ダメ、ビルの駐車場の無料時間は二時間」
ということで、UFOが帰るのを見たかったが、しぶしぶ、店を出た。
こういう話題は、興味のない人には、腹立たしい以外の何物でもない。大槻教授を思い出すまでもなく。
駐車場から出て、
「どうだった?」と聞くと
「あながち否定は出来ない」と夫。
「明日、新聞を見てみよう。あれだけの光が舞ったのだから、記事にならないわけはない」。
だが、翌日、新聞記事にはならなかった。
つまり、それはただのヘリコプターか何かの見間違え、なんだろ?
後日、寿司屋ですれ違った彼女に、あれは何だったのか、と聞いてみた。
あの時から、もう呆れるほどの時が過ぎているから、言ってもかまわないと思うが、
あの時は、三角ビルに事務所を持つある会社で「UFOを見る会」をしていた、のだと。
その会社の社員の一人が、金星人で、その人を介して、時々、こういう会を催して、金星人と交友を深めているのだと言う。
これまた、俄かには信じがたいが、大の大人が真面目な顔をしてやっていることなのだから、そう言う世界もあるのだろう。
私は目が悪いので、そんなに遠くのUFOの形をはっきり見ることは出来なかったが、視力の飛び切り良い人の説明によると、ハンバーガーみたいで、と水をすくうような形にした掌を縦に合わせ、この手と手の間に窓がある、ということだった。下の写真は、その時のものではないが、それに近いと思う。
余命3ヶ月と言われた母は、その後、1年7ヶ月生きて、世を去った。癌の消滅は叶わなかったが、念じることで、薬の効きにくい頭痛などを緩和することは出来たように思う。
それが、超能力といわれるものなのか、少しでも楽になってほしいという気持ちの力なのか分からないが、心のあるところには力が作用する、ということではないか、と思う。