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雑記 379 Giglio〈ぢりお〉の百合子さん
私の家の左2軒先に「Giglio」と言う名のイタリアンレストランがあった。
シェフはこざっぱりとした姿勢の良い少年の雰囲気のある女性だった。
時々、仲間か恋人か、男性が手伝いに来ていたが、基本、作るのも洗うのも会計も、彼女ひとりでやっていた。
店は、床も壁も木製の深い色目の茶で、カウンター席だけ。
店全体に、無駄なものはなく、飾り過ぎず、でも、置いてあるものは、小さなものでも選び抜かれていて、非常にお洒落だった。カウンターの後ろには、空間があって、踊りも踊れる広さだった。
通りに面した窓際には、いつも立派な大きい百合の花が豪勢に活けられていた。
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料理にはこだわりがあり、値段も安くはなく、子供連れで行く店ではなかった。
客には、近所に住む、アルプスの天然水でお馴染みの大滝何さんとか、能の野村何某さんとかいて、夕暮れ時から、その店は灯りが入ると異国のような雰囲気を漂わせていた。
時々、長期に休みを取り、イタリアに修業に行く。
ご近所なので、挨拶はして、時々、昼を食べに行ったりしたが、いつも時間がかかり、普通の会社勤めの人間が、昼休みの時間を利用してご飯を食べに行く、という店ではなかった。
外国方式で、水も頼めば料金がついた。
だからお高く止まっているのかと言うと、そうでもなく、寡黙で、無駄口は利かないが、話す時には、いつも、照れたような静かな笑顔があった。
真っ白なシェフのユニフォームのデザインには、こだわりがあって、店に入ってキッキンの前に立つと、道ですれ違うのとは違って、見るだけで、プロフェッショナルの料理人、と見えた。
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イタリアに行く時には、扉に小さく、留守にする旨の貼り紙があった。
そして、帰ってくると、夕暮れ時から、店に灯りが灯り、毎晩、きっと生活に余裕のある人だろうと思われる客が座って時を過ごしていた。
何度かイタリアに行っていた。
ある時、店が長く閉まっているので、また海外に行っているのだろう、と思っていたが、貼り紙もなく、不思議に思っていると、
どうも体調を崩して入院したようだ、
という話が伝わってきた。
その後、少しやつれた彼女が、
彼に肩を抱かれて店に入る様子や、母親のような人とドアを開けて中に入るのを見た。
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好きな時に店を開け、好きな時に料理を作る。
自分の店なのだからどのようにしたっていいわけだ。
ある日通りがかると、午後夕暮れよりは早い時間に、灯りがついていて、数人の人がカウンターで食事をしているのが見えた。
なんだ、体調悪い、って聞いていたけれど、やっと復活なのね。
それなら、今夜は久しぶりに行ってみようか、と思ったが、その日の夜は、もう店は閉まっていた。
特別なお客様だけをお招きして、復帰のお祝いだったかもしれない。
そして翌日も、またその翌日も、店は閉まっていて、窓際の百合の花だけが豪華に咲いていた。
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数日、今日は開いているだろうか、と思って覗くうち、
ドアのところに新しい百合の花がバケツに入って置いてあるのに気が付いた。
花屋が次の百合を届けに来て、置いて行ったのだろう。
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次の週もまた花がドアの前に置かれていたが、
けれど、それらが飾られた様子はなかった。
どうしたのだろう?
と思って、また別の日、その花束に小さなメモがついているのに気がついた。
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「百合子さんへ
ずっとずっと大好きです」と。
そう言うことだったのか。
あれは最後の晩餐だったのだ。
今からちょうど8年前の今日の出来事。
その後、彼女がいつも通り、郵便受けから葉書を出して、店に入って行くのを見た。夢の中で。
Giglio
とは、イタリア語で、百合のこと。
彼女の名前は、百合子だった。