猫日和 32 オイラの名は「コテツ」
オイラの名前はコテツ。じゃりん子チエの家におるコテツの額に三日月のマークがあり、オイラも同じだったんで、名前をもらうのは早かった。
もともとどこぞの高校生のお兄ちゃんが、どこぞの公園で鳴いておったオイラを拾い上げ、懐に入れて、家に持ち帰った。その兄ちゃんの部屋でしばらく暮らしたが、雌猫が恋しゅうなって鳴いたら、かなわん、勉強の邪魔、ゆうて、里子に出された。
電車に沢山乗って着いた家には、ヨボヨボした白猫と、おとなしいだけが取り柄の病弱な白黒猫がいた。
で、それらの2匹とはたいした期間一緒に暮さんで、次の年の7月の初めに白黒が死に、2日後、後を追うように白が死に、白は20歳だったから、2歳の白黒が冥途への道を迷わんようついて行ってくれたんだろう、有難いことだ、とおかんはしみじみ言うた。
2匹とも死んで、やぁラッキー、オイラの天下じゃ、と思った2週間後に、オイラから見ても、じゃりん子としか思えんギャングエイジのちび猫2匹がワイワイとやって来た。
その半月後、他所の家で植木の中に親猫に捨てられて死にかけていたっちゅう150gのトラ猫が、パーティーに使う紙皿に乗せられてやって来た。1ヶ月後の台風の日に、お頼み申す、とデカい雑巾みたいな白猫がやって来た。そんで、なんと、たちまち大家族になってしまったんや。
前の飼い主の兄ちゃんは、猫の飼い方を知らんかったみたいで、オイラは随分と贅沢させてもろた。食べ物は、カルカンの缶詰とか、銀の匙チンチーンだかなんだか言う高級魚やら、刺身。
でも、この家はあかん。貧乏や。食べ物は基本カリカリだし、便所は共同便所で、綺麗好きな自分は、かなわんわ。だから、おかんがトイレの砂掃除始めると、一番前に並ぶ。で、綺麗になりたてのトイレに真っ先に飛び込んで、用を足し、それからザッザッザッと豪快に砂蹴散らかして、、、気分よかっで。
けど、いつも、訳もわからんようなチビ猫が走り回って、飛びついて来たり、で、いくらオイラが若くても、あかん。疲れるわ。
雑巾猫なんか、訳わからんチビ達が、腹の下に潜り込んで、乳を探し、そいつらに慕われて、男なんだか女なんだか、3匹も腹に抱えてまったり昼寝だ。王者の威厳はどうした、ってなもんだ。
この家には、もっと悪いことに、子供っちゅう怪獣が何匹かいて、扱いは手加減なし。可愛がられているのか潰されているのか、分からん。まぁ、可愛がっているつもりなんじゃろうが、時々は、こんなこっちゃ。
そんでも、他の外界を知らないジャリ猫と違って、オイラは自由気ままに暮らさせてもろた。
階段の上にある、小窓から飛び出して、外階段を屋上まで駆け上がり、隣の木に飛び移って、ガリガリと下まで降りて、
風呂沸かすのに薪割りしている隣の家のおっちゃんの横の木の下でウンコしたりした。もちろん、猫の礼儀は弁えておるから、丁寧に砂かけし申し上げ、おっちゃんは、黙ってそれを見て、タバコをふかし薪を割り続けた。
まあまあ、いい猫生だった。
最後、おかんの、お母ちゃんとお父ちゃんが、ひとりは癌、ひとりは心筋梗塞で、ほぼ同時に倒れて別々の病院に入った。新幹線に乗って行かんといかんかったし、別の病院言うても、一つは家に近かったが、一つは改札もない田舎駅から歩くホスピス。近くの市民病院は、洗濯物持ち帰り。今とは違う。
その緊急事態が40日以上も続き、東京との往復で、てんやわんやして、オイラまで手が回らんくなって、老衰ってやつだったと思うけど、もうダメか、もうダメかと思われつつ、結構しぶとく生き続けたんじゃが、ある秋の日の朝早く、神さんが迎えに来よった。
おかんは、だいぶ後悔しとったけど、大丈夫や。
じゃり猫軍団の中に、オイラと模様がそっくりな「ムツ」っちゅうトラ猫がおって、それに乗り移って、こってり甘えて好き放題させてもろたから。
おしまい。
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