雑記 860 必ず出会う
近頃そんなことを感じさせられることが多い。
それも何十年という時を経て、やはりこの世で会わなければならない人がいて、それを誰かが後ろでコーディネートしているのではないか、と思う。
何十年も昔にすれ違った人が、何十年も経てから、私の人生に意味を持つ。
守護霊というものが仮にいるなら、その守護霊が、
これでもか、これでもか、と知り合いになる機会を作ってくれていたのに、気がつかずにいて、
そんなことしていたら、あなたの人生終わっちゃうからね、という感じで、ついには出会わさせられる。
前世というものがあるなら、
来世で必ず再び会おう、
と約束したに違いない。
でも、現世での人付き合いには、それほどの必要性が感じられず、やり過ごしてしまっていることがある。
日曜日に音楽会に誘ってくれた人も、
何十年も前に、私が住んでいた同じ部屋に住んでいた。その後、東京でも、隣の家に住んでいた。
そのことを知ったのはごく最近で、隣に居ながら、
どうして顔を合わせなかったのだろう、
どうしてこの家に住む人と分からなかったのだろう、と思う。
劇団四季のミュージカルを観に行って、
偶然に住んでいた場所の話になり、
驚いた。
音楽の場で、静かに隣に座ること。
それが、前世での、また会おう、と言った約束だったのではないかとさえ思う。
再会の意味はこれから少しずつ解明されてくるだろう。
また、宇宙物理学者の佐治晴夫先生も、家族で
偶然に出かけた山中湖のペンションでお会いしたが、長い、空白時間があり、その後何十年か経って、
再会した。
どれほど偉い先生かは知らずにいて、後に「ゆらぎ理論」を唱え、VHSの3倍録画を可能にし、NASAでボイジャー打ち上げに関わった方、と知った。
バッハが好きで、自ら、パイプオルガンやピアノを弾かれる。
丁度一年前、神奈川の音楽ホールを借り切っての、
「オルガン•ピアノ練習の会」
というお話と音楽の集まりに、呼んでいただき(勿論無料で)、
私が興味を持ってやっていることが、そっくり佐治晴夫先生の世界の一部と知る。沢山の著書は、生き方の指針になる。
明日は、佐治晴夫先生の90歳の誕生日。
10年ほど前、癌の手術をした時、
手術を執刀した友人の医者が、
転移してしまっているので、やりたいことは、この先3年以内にやるように、と忠告してくれたそうだが、
癌細胞も自分の細胞、
癌君、仲良くやろうや、
と声をかけて、暮らして、もう10年が経つ。
どうぞいつまでもお元気で、と祈らずはいられない。
出会って、喜びを共にする、
そんな些細なことが、あの人ともこの人とも、前世での約束だったのか、と。
それは、現世でも同じく、幸せとは、実はそんな小さなことで、だが、何ものにも代えられないものなのだろうと。