いつでも微笑みを《Mr.children》

何か、自分の中の毒気が抜けていっている気がする。

ども、今回は曲紹介です。

皆さんはMr.childrenという超メガギガモンスターバンドをご存知でしょうか?
もちろん知ってますよね〜
むしろ、日本に生まれてきて彼らの歌声を知らずに生きていくのが難しいくらい、このバンドの曲や歌声は我々のDNAに刻まれていると思います。

では、皆さんはミスチルのアルバムの中でどのアルバムが好きですか?
流石に、アルバムの話になると会話のキャッチボールができる人は徐々に絞られてくると思います。ちなみに俺は、5時間くらい悩んで【深海】【ボレロ】になりますね…
好きなアルバムを決めるのはほんとに難しいですね笑笑

話を戻しまして、題名にもあります“いつでも微笑みを”という曲の話に戻しましょう。
この曲はアルバム【It’a wonderful world】に収録されています。
この時のアルバムは、“蘇生”“優しい歌”など力強さを感じるメロディーや歌詞が現れていて、ミスチルの生命力を体感できる作品です。サブスクでも解禁しているのでぜひ聴いてもらいたい。個人的に音楽評論家みたいな感じになるが、アルバム【深海】のようなダークなミスチルも好きなのだが、生と死という対極を表していて。溢れんばかりの生命力を感じるこの【It’a wonderful world】を聴いた後に【深海】を聞くと、自分の心の中の振り子がぐわんぐわんと音を立てて、壊れてしまうかもしれない。それほどまでに桜井さんの心の変動や私生活の変化などで、曲の特徴が変わるのは面白いし、それでも売れるミスチルのネームバリューと1作品の完成度はすごい。

最近のヒットチャートを見て、それに感化されてチャートに入っている曲を聞くが、心が動かなくなってしまった。どの曲も素晴らしいが、俺の心や気持ちが年老いたのか、それとも世間がいいというものを真っ向から否定する醜い心になってしまったのか、分からないが、無という感情になってしまう。だから生きていても楽しくない。楽しいと感じる時はいつなのか分からない。そんな気持ちのままここまで大きくなってしまった。22歳の秋、1人寂しくこんな記事を書いている。いつからだろう何かを否定することでしか自分の存在意義を見出せなくなったのは。他人の不幸は蜜の味というが、ほんんとうはノーリスクで相手を思う存分叩き、惨めにするのが一番の蜜の味だろう。ノーリスクこれが大切だ。自分に何にも危害がないから、叩くのが楽しい。いつからだろう、こんなふうに思うようになったのは。

世間では、日々誰かが傷つけられているし傷つけている。世界平和とは遠い存在になるように誰かが誰かのサンドバックになっている。
こんな事書いてもアンチテーゼにも何にもならないから、こんな事書いても意味ないから、こんな事を書くよりも楽しいから今日も他人をサンドバックにしている。
そんな行為最低だと書くのは容易い。じゃあ、自分はそんな事した事ないのか。大体の人は無いというが、人はストレスを溜めてしまう生き物。だから井戸端会議や何気ない会話の中で、知らず知らずの内に誰かを傷つける事を言う。俺もそうだ。けど今はそれをできる人がいない。だからそういう事は誰にも言えない。

“何もかも思い通りになったとしてもすぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷ついても”

“いつでも微笑みを”の一節だ。まさにこの歌詞通り、俺たちは決して満たされない欲望を持っている。自分だけ良ければいい。いつでもそう思ってしまうことがある。普段の生活では、この《欲望》を胸の中にしまい、大いなる理性の元ひた隠して生活している。それが人間だから。

次に歌詞の個人的解釈をしていきたい。この“いつでも微笑みを”は全体的にどこか暗い。歌詞も不明確な死を描いているから、背後から忍び寄ってくる。メロディーが明るいからなのか、歌詞の暗さがよく目立つ。メロディーが太陽なら歌詞は影になる。どんなに明るくても生物は死を迎えてしまう。イントロのひび割れたノイズ混じりのテープ音の中から聞こえる、赤ちゃんの声が聞こえる。赤ちゃんは言わば死と真逆の存在。生まれた時から、少しづつ命を燃やし生きていく。この最初のイントロ部分のインパクトが強く、死という存在を強く印象づけられる。イントロからの出だしの歌詞に

“狭い路地に 黒いスーツの人達
急な不幸がその家にあったという
命は果てるもの 分かってはいるけど”

この部分で、葬式や何か不幸があったというのが鮮明に描かれる。誰かの誕生日という日ならそれは誰かの不幸があった日になる。この世の中は、誰かの不幸から誰かの幸福が生まれると思う。それをイントロからの歌い出しの歌詞で続いていると思う。リズムでも、楽しそうな口笛や鈴の音、シンセのビュンビュンといった音からどこか物悲しさを感じてしまう。明るいけどどこか悲しい。まるでピエロが演奏しているかのように。人には見えない悲しさを背負っているようだ。

“何もかも思い通りになったとしてもすぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷ついても”

この歌詞はさっきも語ったが、人生の真理をついていると思う。何も不自由なく生活しても、必ず多かれ少なかれ不満が出てくる。今の自分に満足している人なんていない。だから人はどこまでいっても孤独なエゴイストになるのだろうし、みんながみんな手を取り合うのも難しいのかもしれない。

“いつでも微笑みを
そんな歌が昔あったような
今こそ その歌を
僕達は歌うべきじゃないかなぁ”

“いつでも微笑みを
そんな歌が昔あったような
悲劇の真ん中じゃ その歌は
意味をなくしてしまうかなぁ”

サビの部分である。この曲の題名でもある“いつでも微笑みを”という言葉が出てくる。実際、この“いつでも微笑みを”という曲は存在はなく、多分これだろうと言われているのが、橋幸夫さんと吉永小百合さんのデュエット曲“いつでも夢を” 

“いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも歌っている”

2013年に制作されたNHKの連続テレビ小説【あまちゃん】にも出てきて、とても大切な一曲でもあるこの曲。実際にあまちゃんを毎日観ていたので、自分が見ていたドラマとの関係性も見えたが、あくまでも説でもある。この世の中には、こういったテーマの曲は多い。けど、いつでも微笑みをの部分といつでも夢をの部分は、雰囲気は同じなののに意味合いは違う。

いつでも微笑みを。辛い時こそ笑顔が大切で、そういう時こそ優しい微笑みが誰かの心を救う。

いつでも夢を。いつでも夢を持ち、願う。星よりもひそかに、雨よりも優しい願いを込めて、祈る。

どちらも日本語の美しさが溢れている。だからこそ、今を行きていくには、日々何かしら悲劇が起こる。それはみじかに感じるものや遠くに感じるもの。生というなまものの感覚は自分にしか分からない。アントニオ猪木さんや三遊亭円楽さんの死。どちらも自分の中で大きく、2人とも絶対的な生を感じた。けど、今はもう亡くなられた。二人の死に実感できなかった。ケータイの冷たい画面やテレビの冷たい画面でしか、二人の死は感じる。けどそれに対する実感がわかない。今もどこかで赤いマフラーにスーツ姿で「元気ですかぁぁぁぁ!!!」と言ったりやピシリとした着物を羽織り毒のある面白い落語や大喜利を見せてくれたりする。そんなことを思ってしまう。けど二人はもうこの世にいない。今日も見かけた道路で死んでいるネコと同じだ。命に大きいや小さいもない。燃え尽きた時、それは人もネコや他の動物と一緒、死となる。

死は怖いのか。死は救済なのか。分からない。ただ、どの命にも言える。安らかにお眠りください。と

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