ASD夫の共通点 ー オレの夢
モトオの夢は「私と結婚すること」でした。きっと私には白羽の矢かなんか立てられていたのだと思います。
私が留学中、彼はアメリカまでよく会いにきてくれたのですが、その時夢の話をしたことがありました。私が「人気イラストレーターになりたい!」と言うと、彼は「じゃあ、オレがサポーターになるから任せて!」と言ってくれました。叶えるのが難しい夢のまた夢の話につきあってくれた彼の存在は、私の心の支えになりました。
ただ彼の番になると、話は変な方向へ行きました。彼は「自分の夢は、私と結婚すること」と言ったので、私は笑いました。婚約して結婚することは決まったも同然だったからです。「そもそも結婚はスタートでゴールにされては困るんだけど」と笑って返したのを憶えています。
「ふざけないで、ちゃんと答えて」私は彼のユーモアを楽しんでいましたが、実は彼はふざけたのではなかったのです。彼はほとんどの場合、短絡的に思ったことを言っていただけで、冗談など言ったことはなかったのでした。面白く思えたのは、彼の考え方、つまりASD的考え方が人とは違っていた事と会話の中で人が何を求めて質問しているかが、よく分からないので素っ頓狂な答えになるからでした。人と違う発想が出来るのは強みにもなるのですが、ここでは完全に誤解が生じていました。
彼は「ふざけてなんかいない。 自分の愛は本物で、信じて欲しい!」と、目をキラキラ輝かせて言いました。ここはふざけていて欲しかったのですが、これで話は完全にすり替えられてしまいました。「だから、それは夢じゃないでしょ?」と何回か真面目な答えを聞き出そうとしましたが、甘い言葉でごまかされた私は、何か引っかかると思いながらも悪い気はしないので話は宙ぶらりんで終わってしまいました。彼はそもそも将来の夢という概念が分かっておらず、私は彼が理解していない事が分かりませんでした。
こんな具合で私達の会話は本当は常に噛み合っていなかったのですが、発達障害を知らなかった私がそのことに気づけるはずはありませんでした。
思えば彼との会話にはいつも何か引っかかりがありました。それには説明がつかなかったのですが、その何かは言い間違えやちょっとしたことではなく、時々垣間見えていた彼の特性的本心だったのですが、私はその大事な引っかかりに目を瞑ってしまったのでした。恋は盲目、あばたもえくぼというやつです。
4年もつきあってきたからというケチな考えもあり、私はつきあいを途中で辞めることができませんでした。実際世の中には思いやりのない人はいますから、何かが違うと思ったら、即止めるべきでした。
それはその人の心のあり方と自分の心のあり方が違うことの現れですから、目を瞑ったり我慢したりしては絶対にいけなかったのです。
日本は我慢することを良しとする男性優位社会です。学校のみならず社会全体で、我慢させることを好みます。小学校に入ると子供は真っ先に我慢することを教え込まれ、女性は成長と共に更なる我慢を強いられます。
私は長女に生まれ、小さい頃から我慢教育の優等生でした。なので、モトオにとっては都合の良い相手だったことは間違いありません。
彼が言ったことは、本当にそのままでした。彼にとっては結婚することがゴールで、外面仮面をつける努力も結婚するまでだったのです。
日本では男性は外で働いてさえいればいいので、夫が家で傍若無人に振る舞い、家事育児をほとんどしなくても咎められることは一切ありません。
国がこの土壌を作っているのですから、家庭内での虐待はなくなりません。
ASDの人と結婚してカサンドラ症候群になった人の本の中に「私の夢はあなたと結婚することです」と言われて結婚したという記述を読んだことがありました。うちだけではないこと、そっくり過ぎることに驚きました。
生まれも育ちも全く違うのに、同じようなシチュエーションで瓜二つの言動を取るのは、個性ではなく、脳の特性でしかありません。
発達障害を持っていても本人に変わりたいという意思や覚悟があれば、家族との関係改善も夢じゃないと私は思っています。
でもそれには、本人がありのままの自分を受け入れることが大前提です。それが嫌で逃げるなら、それはただの夢物語ということです。