「貯める」行為そのものに惹かれているのかもしれない
少し前からポイ活(ポイントを貯めること)にハマっており、レシートアプリで数円を貯めたり、ファミリーマートのアプリで毎日くじを引いたり、TikTok Liteでログインしてポイントをもらったり。
集めても微々たる額なのに不思議と続いているのは、もう失われてしまった「貯金箱にお金を入れる」という行為に近いのではと思いました。
自分がした行為の積み重ねが具体的に見えること。
どんな小さな行為であっても、それらは自己肯定感を与えてくれるものだと知りました。
レシートアプリで、一枚のレシートから手に入るのは大体1円。残高を見ると500円も貯まっており、500回も繰り返した自分すごいなと言う気分に変わったのがきっかけでした。
この500円を今すぐ現金として使う気は全くなくて、それはおそらく財布の中に入っている500円よりも価値が高いから。
子どもの頃、何かおもちゃを買うために貯めた貯金箱の中身(お金)は、そのおもちゃを買うために貯めたから意味があるのであって。
なんの目的もなく貯金箱に入れたお金は、日常的に消費される日用品などに使いたくはない。
だって、何かを買おうと強い意思を持って時間と労力をかけて集めたお金なのだから。金額以上の価値が、そのお金には含まれているから。
お金への愛着とでも言えるのかもしれません。
毎日の中で、どんなに小さな金額であれ出費ばかりしていると、マイナスになる罪悪感を同時に浴びている気がします。
ポイ活はそのマイナスをプラマイゼロくらいにしてくれる。
金額上では断然マイナスなのですが、支払うと言う持ち金から減る一方の行為に、貯まると言う増える作用を与えてくれる。
毎日の幸せが自己肯定感の量・質によって決まるのだとしたら、ポイ活は大いに貢献してくれています。
もしかしたら、子どもの頃から染みついた貯金箱にお金を貯めると言う習慣がもたらしてくれたものなのかもしれません。
noteの言葉だって同じ。
エッセイが読みたいと思うのは、その人の心の内から溢れ出た言葉を読みたいからで、綺麗に編集された言葉になればなるほどに冷めてしまう自分がいます。
昔、華やかな広告業界に憧れてCMなどのWEB制作をする会社に勤めたことがありました。コピーライター養成講座にも通い、企業の商品をターゲットに伝えるようにあれこれ言葉で工夫する。
その力をつけるためにも、多くのCMやWEBを見てどんな言葉が人の心に響くか?を研究しました。
ある目的のために、どこか無理やり感情に訴えかけて恣意的に誘導する。結果は出るけれど、どこか言葉を道具として扱ってしまっていることに気づき、虚しさを感じたのも事実です。
そんなことに疲れて、しばらく言葉から離れたものの、生のまま綴られたエッセイそのものの尊さと美しさに魅了されました。
温泉の源泉のような、純粋さに。
自分の言葉を一番初めに読むのは自分で、公開ボタンを押すのも自分。そんな壁を乗り越えて世の中に出てきたエッセイには、強く惹かれるものがあるなと思いました。
現在、あなたのお気に入りのnoteを読ませていただきLetterをお送りする企画「あなたのnoteに、 Letterを贈りたい」を実施中です。
読んでほしいnoteがございましたら、この機会にぜひ。お待ちしております。