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人を撮って考えたこと
noteを書くのが遅くなってしまいました。
先週の金曜日に出した動画をについて
考えたことを残せればいいなと思います。
よろしくお願いします。
動画の補足説明
説明を全くしてなかったので、少しだけ説明。
日之影町は宮崎県の北部にある。
我が故郷、延岡市に隣接している。
五ヶ瀬川とその支流の日之影川が流れ、深い渓谷をつくり、急峻な地形に人々が暮らしている。
新潟県燕市出身の榎さんは東京の大学を卒業した後、緑のふるさと協力隊として、日之影町に移住、現在は同町で竹細工職人をしている。
我々が宮崎にいるとき、テレビ番組の取材を通して知り合い、友達になった。
その暮らしぶりととても穏やかな人柄がとても魅力的だったので、取材後「一緒に山登りいきましょう」と声をかけたら、後日、日之影の丹介岳に連れていってくれた。
コロナ禍だったこともあり、社会に出て仕事をする中で、同世代の人と会う機会が少なかったのもあるが、新しい友達ができたのがとても嬉しかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1700302571199-mPrGbCKVhJ.jpg?width=1200)
撮る、撮られることのストレス
今回、榎さんを撮らせてもらおうと思ったはいいものの、なにをどう撮ればいいのかわからず、とりあえずカメラを持って家に遊びに行くことにした。
結局何をどう撮るか決めないまま向かっている道中
「これは我々がカメラを回す必要が本当にあるのか?」
みたいな話になった。
誰かに「撮られるストレス」という話だったと思う。
自分でカメラを回してもらい、言葉と併せて提供してもらう
でいいんじゃないかみたいな。
榎さんの家に着き、一息ついて、「今日どうしましょう」となった時にそのことを相談してみた。
とても無責任な話なことはわかっていた。
我々の説明はめちゃくちゃだったし、唐突だし、とても申し訳なかった。
相談しながら「撮るストレス」もまたあるよなと思った。
人に対してカメラを向ける、人と相対するストレスのストレスのことではなくて
日常のなかでコンテンツとして消化する前提の写真・動画を「撮らなきゃ!」と意識し続けながら生活することのストレスのこと。
映像を仕事としてやっていたことのある我々のそこに対するハードルと、そうでない人のハードルは違うと思ったし、そこをあまり意識できていなかったと思った。
現実問題、我々自身もそこのハードルをめちゃくちゃ感じている。
小さいカメラをを首にぶら下げて生活してみようかと思った時もあったけど、到底そんなことできなかった。
だけど「ログすること」の価値を謳っていこうとしているのでそうも言ってられない。
しかも、よくよく考えたらみんなパシャパシャ写真を撮ってインスタにあげているし、ツイッターで呟くし、それとなんら変わらないじゃないかみたいな気持ちもある。
現在我々はユーチューブに動画をアップしたりしている。
それをすることのハードル(自分自身への)をガンガンに下げていきたい。
SNSとちゃんと向き合ったことがなかったので、ストレスも感じるが、とても楽しいと今は思っている。
撮影し、価値を提供する事の凄さ
今回榎さんを撮影させてもらったが、僕から榎さんに対してなんの価値も提供できていない。
我々がなりたいと設定した「倉庫」のようなものは、続けないと意味がない(続けても価値が出るかわからない)ものだと思っているので当たり前だが、そこんとこは中々に申し訳ないと思っている。
まあでも「続けないと意味がないもの」に拘る必要もないし、極端になるのもいけない。バランスを見てやらなければならない。
どんなカタチのものでもいいから、撮影して、価値のあるものを作っていきたい。
そして、こんなとっちらかった状態のヤツに巻き込まれている榎さんには本当に感謝したい。ありがとう。
![](https://assets.st-note.com/img/1700294299882-9ZnRaOAFg4.jpg?width=1200)
登山をした帰り、作品を出展したりする際にポートレートが必要になることが多いので、撮ってくれないかという事だったので撮った写真。お礼にと、竹で作った鍋敷きと、お手製の梅ジュースをくれた。
思い返すと、価値を感じてくれて嬉しかったし
頑張っていれば「撮る事の価値」を提供できる気もしている。
当たり前のことを、訳のわからない文章でたらたらと書いてしまった。ではまた。
オノガク